新南極観測船「しらせ」南極へ出航

11日、東京・晴海埠頭から南極観測船「しらせ」が南極へ向けて出航した。去年就役し今回が2度目の南極・昭和基地への航海となる。

しらせには、建造費総額376億円が投じられている。その他にヘリコプターを三機搭載している。一機当たり約50億円の製造費という。(南極地域観測事業の概要・文部科学省)

観測船の用意し約60人の観測隊を毎年送り込む南極観測事業とは、日本にとって一体どんな意義があるのだろうか。

1.過去から未来の地球環境を研究・観測する絶好の「場」としてその重要性が高い

2.我が国の科学研究面における国際的な地位を象徴

3.人類の存続を脅かす地球環境問題を解明するために不可欠な地域

4.若年層に対する科学理解、環境教育への寄与

5.国際社会における我が国への信頼と敬意を高める

6.南極地域における資源の利用は凍結もしくは制約を受けているが、今後それが存続し続ける保証はなく、将来に備えて科学的合理的な基礎知識を得る
(新たな南極地域観測事業のあり方・国立極地研究所・南極地域観測事業の目的と意義)

一見もっともらしいことを列挙してはいるが、多くはニュージーランド、オーストラリアをはじめとする南極周辺諸国に期待していいのではないか。

わが国の地位とか敬意を守ると言っても、わざわざ日本から遠い南極へ出張せずして他に方法は幾らでもありそうなものだ。

南極の資源に言及しているが、そもそも南極大陸について日本は自国の領土と主張さえしていない。
また日本政府や日本企業が南極の資源探査に著しい貢献をしたわけでもなく、将来もその見込みなどないだろう。

端的に言って、死守しなければならない国益というものがはっきりしない。
極地研究一筋で生きてきた学者もいるだろうから彼らの活躍も考えなければならないが、せめて物資の補給は近隣諸国のいずれかに委託して事業総額を縮小することが出来ないものだろうか。

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農林水産省の官僚の考える日本農業の未来

農林水産省大臣官房政策課長大澤誠氏が日本の農業の概況について、日経ビジネスオンライン(11/5)で述べている。
(『日本農業に未来はあるか 貿易自由化が叫ばれる中で農政のこれからを考える』http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20101101/216898/?ST=print

平均年齢65歳、最も多いのは75歳以上
耕作放棄地は増え続け、所得は半分に減少
人口の爆発で穀物価格がはね上がる
コメが完全自由化すれば値段は4分の1に
圧倒的な輸入大国であることは変えられない
戸別所得補償制度
(農地を維持してもらい、その上で次の世代に継承)
農業の大規模化は「言うは易く行うは難し」
日本学術会議で調べた結果として、洪水防止機能が年間3兆4988億円
農地を目一杯使って達成できるのが「50%」

記事の見出しを中心に抜粋したが、大澤氏の日本の農業に対する見通しは暗い。農業従事者の年齢構成を見れば、農業の大部分は「瀕死」の状態と言っていい。
国内で農業生産を家計を支える事業として継続する価値がほとんど見当たらない。

2008年の穀物価格の高騰を人口爆発が原因と大澤氏は指摘しているが、急騰のきっかけは凶作だろう。人口の増減より毎年の穀物の収穫量の変動幅の方が激しい。世界人口に比べて豊作なら再び低迷するのだ。
もともと日本で生産した場合の平年の穀物価格が高すぎる。それに比べれば国際相場の高騰も霞んで見える。

大澤氏は記事の中で日本学術会議が農業活動による洪水防止機能を年間3兆4998億円と評価している事に触れている。しかし洪水被害の危険性が高くかつ経済活動の低迷している地域の集落なら移転するという選択肢を検討すべきだ。人が暮らさなくなれば以後その場所は洪水になるがままでも構わない。
日本の人口は21世紀半ばにかけて3000万人もの減少が見込まれているのだから、人間の活動域を狭め手に余る地域は自然に帰すことも決して不可能ではない。

長年食料自給率の向上を掲げてきた農水省だが、彼らでさえ最大限度が50%と認めるとは所詮人口が多すぎて自給は出来ないと言っているようにも聞こえる。
結局全ての国民を飢餓から守るには、外貨を稼いで食料を輸入して確保することになる。

それでも穀物を中心とするカロリーベースでの食糧確保が世界的に危機的状況と主張するなら、せめて肉食を抑制する政策をとるべきではないだろうか。人間の食料生産を圧迫する穀物飼料で肉を生産するのは禁止するのが筋だろう。牛肉や豚肉でカロリーを摂取するためにはその何倍ものカロリーの飼料を家畜に与えなければならないのだ。

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尖閣諸島沖衝突事件ビデオ映像流出

4日にユーチューブへ投稿された海上保安庁撮影の衝突ビデオ映像の流出の責任について様々な意見がある。
はじめから公開しておけばこういう問題にはならなかったとか、(まだ誰が流出させたのか明らかではないが)公務員だったとしたら守秘義務違反であるなど意見が分かれる。

流出後の中国の比較的落ち着いた態度を見極めてから、はじめから公開するべきだったというのは、あと知恵でしかないだろう。
仮に日本が衝突について正しい証拠を積み上げていけば面子を潰される中国はさらに強く反発したのではないか。そもそも中国の言い分では尖閣諸島は中国であり日本の巡視船に追われる筋合いはないとくるだろう。後に中国に滞在していた「フジタ」の社員3人をスパイ容疑で拘束したが、中国の機嫌を損ねたら拘束はもっと長期間に及んだかもしれない。

今回の事件が収束に向かったのは、日本が中国容疑者を解放し中国政府に屈服したからだ。日本が折れて中国を勝者にしたことこそ転換点であり、決して事件の真相が明らかになったからではない。

国際社会の中では正しいことを主張しているからといって、必ず相手国が従ってくれるわけでも諸外国が強制的に正義を実現してくれる訳でもない。
国土の領有権を主張し実効あるものにするなら、正しさ以上に軍事力が必要である。

また我々日本は人質を取られるのに弱い。今回はレアアースという希少資源の取引停止も日本を困らせた。
結局政治的に妥協する他なかったのではないだろうか。

もし流出させたのが公務員だとして、自らの良心のみに従い政府の非公開方針に逆らったのなら悪い見本だ。本人への刑罰を課し、今後公務員が本人の主義主張だけを根拠に情報を流して収拾が付かなくなるような事態を防ぐ為、戒めが必要だ。

公務員が守秘義務を破ったことを賞賛するのは、政府関係者の不正の隠蔽を暴露した場合だけで十分だろう。

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中国を日本に依存させることは出来ない

作家の三橋貴明氏は経済評論家の中野剛志氏の「中国を対日輸出に依存させよ」という主張を引用した上で、日本はアメリカの代役が務まるとしている。そして不景気でアメリカへの輸出に依存できなくなった中国を、日本に依存させよというのだ。

引用された中野剛志氏は国家間において単なる互恵関係でなく「戦略的」ということが重要であると言う。売り手が世界市場で独占的なのか、または買い手の方が一国しかいないのかという市場の構造と、取引される財の必要性によって国家間の力関係が違ってくるとする。

しかし、一国だけが生産する独占的な物資などそうありはしない。独占的な鉱物資源や生物資源というものも存在するかもしれないが、それをすぐに日本の都合で発掘できるものではない。現在希少とされている資源については暫くどうすることも出来ないのだ。
また独占的な企業というものはあるけれども、それらの企業の活動がもたらす利益だけで一国に必要な分の輸入を満たすことなど日本のような人口の多い国では無理だろう。

財の必要性という点も、言葉でいうほど明確なものではない。
例えば石油は不可欠と言えばそうに違いないが、現状の消費(≒輸入)量が必須かといえば、決してそうではないだろう。
観光というサービスは、個々のお客にとっては気分しだいで容易にキャンセルしたくなるものだろうが、社会全体で見ればやはり必要だ。国内に外国人を惹きつけるほどの観光資源があるなら使わない手はない。

買い手は普段自らの欲求を満たす為に買い物をするのであり、その欲求が強いほど買い手としての立場は弱い。他に買い手がいなくても弱いものだ。

現在中国とレアアースの輸出量をを巡って揉めているが、今まで企業は中国のレアアースが低価格という至極当然な理由で購入してきたのだ。将来中国から輸入できなくなる可能性があるとしても、購入時点で低価格の物が流通していれば、とりあえずそれを買って置くだろう。

結局戦略的互恵関係なるものを政府の思惑で築くのは余りにも困難ではないだろうか。

仮に二国間で経済的制裁を伴うほどの関係悪化が生じた場合、詰まるところ国(国民)同士の我慢比べになる。相手からの輸入品抜きの生活に耐え、そして交易停止による被害を国内でどう補償するかあるいは痛み分けして紛争相手国の制裁に耐えるかということに行き着くのではないか。

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配偶者控除の見直しで財源確保

民主党が子ども手当の積み増しや法人税減税の為の財源捻出を検討している。三歳未満対象の子ども手当を2万円にするかわり、高額所得世帯には配偶者控除の適用をしないようにするということが考えられているらしい。

そもそも、配偶者が(大抵は妻)専業主婦というだけで(夫の)税金を特別安くしてもらって、稼ぎが生じれば(妻と夫両方から)より多くの税を徴収すると言う制度は不公平でないだろうか。

善悪はともかく現実として大部分の女性は専業主婦であろうと職業を持っていようと、家事について多大な貢献をしている。女性の中で専業主婦という立場だけを優遇する理由が明らかでない。

また専業主婦だからといって必ず子供をたくさん産み育てるとも限らない。もし出産や養育を国が応援するなら、子供の数に応じてその世帯を助成するほうが公平である。

専業主婦というだけで、夫の課税額が安くなる配偶者控除は廃止すべきだ。民主党政権は恐らく世論へおもねるかの様に高額所得世帯だけ適用除外にするようだ。しかし課税されている所得水準なら比較的低所得世帯でも、配偶者控除で専業主婦のいる世帯が優遇されることに変わりはない。よって所得に関わらず配偶者控除は全廃が公平だろう。

同様の理由で、夫が厚生年金加入者の場合の専業主婦(年収130万円未満)の国民年金保険料、国民健康保険料の免除も廃止すべきだ。

夫が配偶者控除を受けるためにパート勤めの妻が年収を103万円以下に抑えることが多い。
また夫が会社員(=厚生年金加入者)なら妻の年収が130万円に達すると、国民年金保険料の支払い義務が生じる(妻に支払い義務が生じるが夫の保険料が安くなるわけでないし、将来妻の受け取れる年金額は以前と変わらない)。そして夫の健康保険からも脱退を余儀なくされ(妻が脱退しても夫の健康保険料は安くならない)、妻自身が健康保険料を納めなければならない。年収が130万円になると、手取りが一気に20万程度減るのだ。
より一層働くのがこれほど馬鹿らしくなる制度はあるだろうか。

配偶者控除をはじめとした専業主婦に対する税金や社会保険料の優遇は、女性を労働市場から遠ざけ、国民全体の経済としては大きな損失である。
専業主婦優遇を改めることが女性の活躍を生み、同時に国の財政もいくばくか好転させることが出来るのだ。

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国債累積残高の発散

■国債の残高の増加がGDPの成長より速すぎる

現在の日本は、むしろ「国債発行のスピードが遅すぎる」(三橋貴明氏のブログ「新世紀のビッグブラザーへ」)
国債の残高は毎年増加の一途をたどっている。日本政府は過去の借金を返済するどころか借り換えで済ました上、毎年新たに別の支出の為新規に国債を発行し続けているのだ。

他方、頼みの綱である日本の名目GDPはこの十数年500兆円前後で停滞したままである。
(1990年439兆円→2000年503兆円→2009年474兆円)

国債の残高の増加ペースがGDPの成長よりも大きいのに、なぜ国債発行のスピードが遅すぎると言う結論になるのか。
三橋氏は政府は債務を増やしているだけでなく資産も増やしていると指摘しているが、資産として計上していても売却は不可能で年月の経過とともに価値が無くなってくものが大部分ではないのか。

GDP自体が拡大せず税収の自然増が期待できない以上、財政を破綻させない為には支出を減らすか増税をするしかない。

三橋氏はデフレのときに緊縮財政をするのは、タイミングが悪いという。しかし積極財政を長く続けても、公共事業に代表される政府の事業は市場による最適な資源配分よりいびつなものになる可能性がある。政治家の思惑で支出が決定されるからだ。政府の事業も経済の生産性向上に役立たなければ継続的な経済規模の拡大は実現しない。

むしろある程度民間に人材や資金が余剰の状態の方が、今までにない全く新しい産業を生むのに好都合な面もある。もし完全雇用状態なら、せいぜい既存の事業の延長の範囲でしか発展は望めないことも多いだろう。

三橋氏はアメリカの大恐慌を引き合いに出して積極財政を説く。
だか、日本の現状は当時のアメリカの失業率に比べれば格段に「軽症」である。日本を追い上げている新興国に比べて給与水準もはるかに高い。
国の財政出動に甘えて既存の企業を守るのではなく、国民自身が変化して生き残りを賭けるべきではないだろうか。その方が社会は進歩し、後世にツケも残さずに済むのだから。

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少子化もデフレが原因なのか

「GDP低迷を少子化のせいにするのは、いい加減に止めて欲しいです。日本のGDPが低迷しているのは、主にデフレと緊縮財政のせいです。といいますか、そもそも少子化自体がデフレの仇花です。原因と結果が逆になっているわけですね。」(作家・三橋貴明氏のブログ「新世紀のビッグブラザーへ」)
出生率の低下は何も90年代から始まった訳ではない。すでに70年代半ばから低下傾向である。
少子化の原因として子育てや教育の費用そして晩婚化が上げられる。どちらも若者世代の収入との関係は否定できないが、現在より出生率の高かった40年前、子育て世代の収入や住環境が良好だった訳でもない。むしろ現在の子供の境遇の方が贅沢だ。

もう日本の勤労者の大部分は家業を持たず、どこかの組織の従業員である。ほとんどの家庭で子供は跡継ぎとして不要になってきた。
また老後に子供が世話をするということも当てにしなくなった。それは当人の心構えだけでなく、社会が老後の世話をするような制度になってきている。
日本の少子化傾向は勤労世帯の収入以上に、子供を持つことの必要性や価値観に影響を受けているのではないだろうか。

もちろん若い世帯の収入の改善自体は、日本全体で子供を増やす要因となるだろう。子育てや教育にかかる費用も少なく出来るならそれに越したことはない。
しかし世帯収入増加だけで出生率が人口維持に必要な程度に回復するは疑問だ。2009年の日本の特殊合計出生率は1.37、対し長期的に人口が維持される合計特殊出生率(人口置換水準)は2.1である。

デフレが子育て世帯を苦しめているのは、事実であろう。
ただし、少子化は社会が成熟してきたどこの国でも直面している。デフレの克服とは別に、少子化対策を打たなければならない。それは結婚から子供の教育に至るまで、より良い環境にすることだけを意味しない。より少ない労働人口でも成り立つ社会を探るべきではないか。

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メドベージェフ・ロシア大統領の北方領土訪問に打つ手なし

1日にメドベージェフ大統領が国後島を訪問した。ロシアの国家元首が北方領土に入るのは初めてということで騒ぎになっている。仙谷官房長官は「遺憾」と述べ、前原外相は駐ロシア大使を一時帰国させるという。

何かにつけてロシアの過去の侵略について非難し、ロシア人をはじめとしてた世界の人々に対し日本の言い分を知らしめることは、ひょっとしたらロシアの世論に何らかの影響を与えるかもしれない。

しかしロシア国民の世論が一気に北方領土の返還に傾くものだろうか。あるいは北方領土で生まれ育った世代のロシア人島民は同意するのか。貧しいとはいえ、1万6千人余りのロシア人が根を下ろして生活を営んでいる。
幸か不幸か、もうソ連時代ほど国家の指導者の強い影響力で物事を決めてしまう国ではない。権力者だけと話をつけて国境の線引きを変更してもらう訳にはいかないのだ。

所詮世界は勝手な暴力が支配している。また戦争が起きても世界の国々が侵略されている国の方を軍事力で救済してくれる訳でもない。
日本からすれば第二次大戦降伏直前にソ連が一方的な侵略を行ったということになるが、ロシアから見れば時代を遡って樺太・千島交換条約で話し合いで取り決めたロシアの樺太領有を日露戦争時日本に奪われたという言い分もあろう。過去にロシアも戦争で領土の割譲を余儀なくされたのだ。
第二次世界大戦でヨーロッパ大陸の諸国も国境が戦争によって変化したが、その後もいくつかの国家の分裂や統合こそ起きたものの国境が戦前に戻るということはない。

もう日本は戦争で揉め事の片を付けるという気はさらさらないし、ロシアに勝る軍事力も保有していない。
いくら日本が北方領土に拘っても結局ロシアの国情次第ではないだろうか。ロシアの勢力が極端に衰退し、北方領土の支配する力も無くなるまで四島返還の機会はやって来ないだろう。それを待つ以外に日本が一体どんな有利な交渉材料を用意できるというのだろうか。

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緊縮財政への転換

■インフレでもそうでなくても緊縮財政への転換は政治的に難しい

(高金利、高インフレ)になれば、わたくしは率先して、「国債を刷るな! 政府は緊縮財政しろ! 増税しろ!」とか叫ぶ(作家・三橋貴明氏のブログ「新世紀のビッグブラザーへ」)
不景気なときは財政規模を拡大して需要を創出し、景気が回復したら財政規模を戻す。確かに国民全体に適当な量の仕事を与え続けるにはそう調節したいところだ。

しかし実際のところ財政規模を元に戻すのは政治的に困難ではないだろうか。ある公共事業の途中で景気が回復してインフレが生じたら、その公共事業を中断することが出来るだろうか。
一旦財政支出の拡大が始まってそれに依存した雇用が作られた場合、雇われた彼らを景気回復の後再び緊縮財政によって解雇し、民間の需要に基づいた仕事に転職させるのか。
いずれも既得権を得た関係者たちがそうやすやすと緊縮財政を受け入れるとは思えない。政治家を通じて既得権を守ろうとするだろう。
決して景気対策に限った話ではないが、財政支出を決定した当初はその事業に正当な理由が存在したとしても、時代とともにその意義は薄れていき遅かれ早かれ見直しが迫られる。しかし政府主導の事業の進行とともにそれに生活を依存した関係者が出てくる。政策が長引くほどその依存関係は強固になっていくだろう。

また近年の日本の歳出拡大は高齢者を対象とする社会保障関連の支出の増加が原因で否応なく進行している。高齢者は再び働き始めるのではないから、景気回復によってもこの分野の支出の削減をする訳にはいかない。
そして今後さらに高齢者の数(特に後期高齢者)も人口に占める割合も増加が暫く続く。景気不景気とは関係がなく歳出を拡大せざる得ない分野がある。

三橋氏の主張するインフレになったら緊縮財政という図式は、政治的困難さと日本の高齢化からの観点で、甘いと見通しではないだろうか。増税も景気の良し悪しを問わず国民的合意と取り付けるのが難しいのだ。

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デフレなら資金の運用は必ず内国債に向かうのか

日本国債の95%は国内投資家に買われている。しかし、残り5%の外国人が一斉に売り払えば、破綻する!←どういうシチュエーション…世界全ての国が日本の敵になるのだろうか?(作家・三橋貴明氏のブログ「新世紀のビッグブラザーへ」)
三橋氏の疑問の通り、外国人投資家だけが日本国債を一斉に売り払って日本国を危機に陥らせるということはないだろう。

しかし国債の償還が危ぶまれると外国人だけでなく国内の投資家も次々と売却に走る可能性は十分ある。内外の投資家が国債の償還を危惧して売却するのに、客観的な分析のさなれた正しい情報など必要ない。とにかく不安感が増大すれば、理屈ぬきに売りが売りを呼ぶような現象が起きる事もあるはずだ。

また国債の償還を心配する以前に、日本国債以外への投資が流行るということもあり得る。
一つには家計の金融資産が海外の証券投資に向かう可能性が上げられる。もともと人口減少が始まった豊かな日本より、まだ貧しく今後成長が見込まれる新興国地域が投資先として魅力的なところがある。
先進国でもアメリカ、オーストラリア、カナダなどはまだまだ人口増加が続き、経済規模は大きくなるだろう。
個人だけでなく銀行だっていつまでも日本国債という低金利商品に甘んじているとは限るまい。かつてバブル経済と言われた頃、日本の銀行は不動産に対する融資を拡大させていった。その時は結局不良債権の山を作ったあげく国に迷惑だけをかけて終わってしまったが、また何かしら積極的に融資先を開拓するかもしれない。

日本は長期にわたって経済成長が停滞して、デフレにも陥っているが、海外の現状は様々であり全体的には成長が期待されている。
三橋氏には、今後海外が資金の運用先になりうるという見方が無いのだろうか。
デフレのままの日本より力強い経済成長が海外諸国で進めば日本国債の引き取り手に困る危険性が高まるだろう。

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