国債累積残高の発散

■国債の残高の増加がGDPの成長より速すぎる

現在の日本は、むしろ「国債発行のスピードが遅すぎる」(三橋貴明氏のブログ「新世紀のビッグブラザーへ」)
国債の残高は毎年増加の一途をたどっている。日本政府は過去の借金を返済するどころか借り換えで済ました上、毎年新たに別の支出の為新規に国債を発行し続けているのだ。

他方、頼みの綱である日本の名目GDPはこの十数年500兆円前後で停滞したままである。
(1990年439兆円→2000年503兆円→2009年474兆円)

国債の残高の増加ペースがGDPの成長よりも大きいのに、なぜ国債発行のスピードが遅すぎると言う結論になるのか。
三橋氏は政府は債務を増やしているだけでなく資産も増やしていると指摘しているが、資産として計上していても売却は不可能で年月の経過とともに価値が無くなってくものが大部分ではないのか。

GDP自体が拡大せず税収の自然増が期待できない以上、財政を破綻させない為には支出を減らすか増税をするしかない。

三橋氏はデフレのときに緊縮財政をするのは、タイミングが悪いという。しかし積極財政を長く続けても、公共事業に代表される政府の事業は市場による最適な資源配分よりいびつなものになる可能性がある。政治家の思惑で支出が決定されるからだ。政府の事業も経済の生産性向上に役立たなければ継続的な経済規模の拡大は実現しない。

むしろある程度民間に人材や資金が余剰の状態の方が、今までにない全く新しい産業を生むのに好都合な面もある。もし完全雇用状態なら、せいぜい既存の事業の延長の範囲でしか発展は望めないことも多いだろう。

三橋氏はアメリカの大恐慌を引き合いに出して積極財政を説く。
だか、日本の現状は当時のアメリカの失業率に比べれば格段に「軽症」である。日本を追い上げている新興国に比べて給与水準もはるかに高い。
国の財政出動に甘えて既存の企業を守るのではなく、国民自身が変化して生き残りを賭けるべきではないだろうか。その方が社会は進歩し、後世にツケも残さずに済むのだから。

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国債累積残高の発散 への6件のフィードバック

  1. タロキチ のコメント:

    (GDP自体が拡大せず税収の自然増が期待できない以上、財政を破綻させない為には支出を減らすか増税をするしかない。)

    この政策橋本政権がやったけどGDPが5期連続マイナスになって外国人投資家が膨大な日本株売り越しされ消費税は5%にアップしたけど税収は逆に落ち込み自殺者数は初の3万人突破(1年で1.5倍増えた)したのですがまたこれをしたほうがいいということですか?

    (三橋氏はデフレのときに緊縮財政をするのは、タイミングが悪いという。しかし積極財政を長く続けても、公共事業に代表される政府の事業は市場による最適な資源配分よりいびつなものになる可能性がある。政治家の思惑で支出が決定されるからだ。政府の事業も経済の生産性向上に役立たなければ継続的な経済規模の拡大は実現しない。)

    確かに指摘される問題も起こりうると思います。

    (むしろある程度民間に人材や資金が余剰の状態の方が、今までにない全く新しい産業を生むのに好都合な面もある。もし完全雇用状態なら、せいぜい既存の事業の延長の範囲でしか発展は望めないことも多いだろう。)

    佐藤さんの意見の民間に人材と資金の余剰とありますがこれは主に好景気時にしか存在しないです。

    (三橋氏はアメリカの大恐慌を引き合いに出して積極財政を説く。
    だか、日本の現状は当時のアメリカの失業率に比べれば格段に「軽症」である。日本を追い上げている新興国に比べて給与水準もはるかに高い。
    国の財政出動に甘えて既存の企業を守るのではなく、国民自身が変化して生き残りを賭けるべきではないだろうか。その方が社会は進歩し、後世にツケも残さずに済むのだから。)

    日本がバブル崩壊で失った富は約1200兆円といわれています。これは当時の日本のGDPの2.7年分です
    一方アメリカが1929年に失った富はGDP1年分です。人々の生活だけみると日本の方がはるかに被害が軽かったようですが実質に受けた被害は日本の方がはるかに深刻であったといえます。
    政府が景気対策に費やした140兆円の景気対策が軽症にとどめるのにかなり有効であったことを証明しています。

  2. 佐藤健 のコメント:

    >タロキチ様

    ご指摘のとおり、私の主張は衰退産業に厳しく当事者にとって見れば自殺を強いるようなものです。
    しかし世の中の需要の中身は変化していきます。それに合わせて産業界も新陳代謝を進めるべきだと思います。
    社会の変化を拒絶するかのように既存の企業の売り上げ(雇用)を守るような財政政策を取ると、変化を前向きに受け入れる国・地域の企業との新たな競争に敗れるのではないでしょうか。

    自殺については家族が悲しむだけだからするな、債権者に申し訳ないなら慎ましい生活を送りながら働いて工面できる範囲で返せとしか言うことはありません。

  3. タロキチ のコメント:

    >佐藤健 様

    佐藤さんの考え方の中では市場放任主義に近い思想が伺えます。
    しかし、小さな政府を目指しこれを続けてきたアメリカがどうなったかといえば今の状況です。
    通常の不況なら私も佐藤さんの意見に同意しますが日本の長引く不況と昨今の金融危機はバブルの崩壊ですから
    政府の下支えなしにほっとくと大恐慌になります。
    大恐慌になると経済のシステムの問題になるので民間では対処不能です。
    そこで政府の行動が必然的に必要になるのです。
    大恐慌から民間が自力で立ち直ったケースは未だに存在しません。
    産業界の新陳代謝は競争原理が働く限り健全に行われると思います。
    また企業によっても破綻した理由はさまざまで経済システムの問題によって破産した場合はやはり救済すべき
    だと思います。

  4. 佐藤健 のコメント:

    >タロキチ様

    そうです、市場放任主義です。

    よく「失われた10年」「20年」という表現で日本の経済的停滞が表現されます。タロキチさんならこの20年の間、国債を何百兆円も発行しなければ日本は大恐慌になっていたとお考えでしょうか。
    しかしその間でさえ日本は世界最大の純資産国であり、また財政出動無しでGDPが半減したとしても賃金水準をはじめとした様々な労働条件は当時の世界の新興国より恵まれていたはずです。
    賃金が低いとか、商品が以前の価格で売れないなどと不平不満を並べても現状を受け入れなくては新興国の労働者に取って代られるだけです。それは日本一国では変えようのない経済原理でしょう。

    私が記事の中で過去のアメリカの大恐慌と現在の日本を比べて論じたのは間違いかもしれません。比べるべき対象は、日本と現在競合している国・地域ですね。

    企業経営者はバブル崩壊を含めたあらゆる経営環境の変化に対応すべきです。何も私だけが厳しいことを言っているのではなく、債権者、従業員そして株主等利害関係者全てがそれを要求するはずです。経営者に大事な財産の一部を委ねているのですから。
    (もっとも従業員でも子供を養う立場であるなら、実現するかどうかも分からない政治による職場の救済を待つなんて感心しませんが)

    タロキチさんの仰るとおり、不況の時は政府から見ても公共事業の執行がお買い得にできる時期だと思います。もともと決まっていたものを前倒しでするのは得です。

    しかし、あからさまに「雇用のため」あるいは「デフレ脱却」を目標にした事業創出には反対です。当然赤字の始末が心配です。
    事業とは利用者本位でかつ継続可能であることが重要です。その条件を満たす事業であるかどうか判断するのが「市場放任」です。

    市場の洗礼を受けない事業(≒公共事業)に頼るのは、遠くない時期に国民が必ずそのツケを払わされるのではないでしょうか。

  5. タロキチ のコメント:

    >佐藤健 様

    私も企業や家計そして地方政府が必死に生き残りをかけて競争することに反対しませんし、むしろ歓迎することだと思います
    しかし、現在余りにも公共投資は無条件で悪といった雰囲気が世論に醸成されてしまっているように思うのです。
    そしてまだまだ日本には公共投資すべき件がたくさんあると思うのです。
    日本の科学研究費は世界的に見てGDP比では世界一ですが、政府による支出は先進国最低です。
    そのリンクです。http://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/seisaku/haihu10/siryo2-3-14.pdf
    各国は財政赤字化でも研究費(公共投資)を増やす傾向にあります。
    また日本は自然災害が多くそれだけ公共投資もかかってしまいます。ですが昨今の世論のように政府の赤字を削ると
    自然災害が起きたときに被害が拡大することになってさらに景気が冷え込むことになりかねないです。
    佐藤健さんは均衡財政派だとも思いますが、私は国債の消化に問題ない場合は財政赤字拡大してでも政府は
    積極的に行動するべきだと思います。
    それが雇用対策になりデフレ脱却の両方にポジティブに作用するのなら一石二鳥にも三鳥にもなると思います。
    あと日本がもし財政出動してなかったら日本は大恐慌になっていたと思います。
    企業も家計も借金返済をして政府まで税収の減少分の需要を削減したらすさまじい額のデフレギャップが生まれてしまいます、それがさらに企業を直撃して業績悪化、人員整理それがさらに需要低下、企業倒産、銀行の資産の不良債権化という
    流れが繰り返されますのですさまじいダメージを国民がおいます。そしてこれが現にアメリカで80年前に起きたことです。
    後にニューディールと太平洋戦争でこれを解消しますがこれだけの傷を治すためには莫大な公共投資が必要とすることを
    意味しています。このとき会社つぶれた人と株で大損こいた人は(大恐慌世代)はアメリカ人に珍しく、死ぬまで借金しない
    借金恐怖症ともいえる世代になってしまいました。
    借金恐怖症は間違いなく経済にとってはマイナスですし、彼らが安心してお金を借りて消費して豊かに暮らしてもらうのが
    国家が目指す国民の幸せな生活でもあると思うのです。

  6. 佐藤健 のコメント:

    >タロキチ様

    私も財政赤字を出しても仕方がない場合として経済的混乱や自然災害そして戦争などが上げられると思います。
    ただ財政を均衡させることも公共事業で理想的な経済的効果を上げることもなかなか政治的に難しいものがありそうです。

    タロキチさん、またのご訪問お待ちしております。コメント有難うございました。

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