西岡参議院議長試案 比例代表制で全員選出する選挙制度改革案の問題点

■「一票の格差」解消の狙いは自民党を支持する基盤の弱体化

22日、西岡武夫参議院議長が参議院の選挙制度改革案を明らかにした。現行の都道府県単位の選挙区選挙を廃止して、全国を9ブロックに分けた比例代表制の選挙のみで全員の参議院議員を選出するという改革案である。試案では一票の格差が1.16倍以下に収まるという。

参議院の一票の格差は自民党長期政権時代から今日の民主党連立政権に至るまで長きに渡って放置されてきた。少ない人口にもかかわらず不当に一票の価値が高いのが鳥取選挙区、鳥取に比べ一票の価値が五分の一程度しかないの神奈川選挙区、大阪府選挙区、北海道選挙区などである。

定数是正が遅々として進まなかったのは、長く政権の座にいた自民党が主に人口の減少している地方を支持基盤としていたからことが多く影響していたに違いない。
一票の格差是正とは、当面自民党と自民党から利益を受けてきた集団の力を削ぐことを意味するのだ。

■比例代表制では小政党が多く残り、国の意思決定を困難にする

参議院の都道府県単位への拘りを捨てるのは、参議院全体の議員定数を増加させないために必要である。
鳥取県に2議席を割り当てたまま一票の格差是正をしようとすると、都道府県単位の選挙区だけで、400人の議員が選出せざるを得なくなる。日本全体に対する鳥取県の人口の割合は今後も低下し、2035年には0.4%と見込まれているので将来的には500人まで都道府県選出参議院議員を増やすことになる。

最大で5倍にも達する一票の価値の格差を生んでいる都道府県単位の選挙区を全廃してしまえば、当然格差は無くなる。また比例代表制は想定されるひとつひとつのブロックの有権者数即ち当選者数が多く、今後の人口の変動に対しても政治家たちは定数是正に抵抗しないだろう。
しかし比例代表制は死票が少なく、比較的少数の得票でも政党が生き残こる可能性が高い。よって小政党が多くなる一方で単一政党が過半数の議席を獲得しにくくなり、国を著しく変化させる大胆な政権運営は期待できなくなるかもしれない。

様々な国難に対する迅速な対応を政権に求めるなら、死票が多く出ることもあり得る選挙制度にしなければいけない。それは決して比例代表制ではないはずだ。

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松沢・神奈川県知事 子ども手当地方負担拒否のホンネ

■本心は何はともあれ神奈川県の財政が危機的状況だから負担を逃れたい

松沢成文・神奈川県知事が平成23年度の子ども手当の県負担分を拒否することを明らかにした。

「県によると、今年度予算ベースで子ども手当の県費負担率は12・5%で、県費負担を拒否した場合、月額1万3000円の支給額は1万1000円程度に減額される。今年度の子ども手当は児童手当が流用されたため、県費負担のある小学6年生までに影響が出る。」(12/11毎日新聞)

松沢知事は子ども手当の導入時から盛んに全額国費負担が筋であるかのように訴えてきた。だか元々子ども手当が導入される以前から児童手当という類似の現金給付制度があり、都道府県は費用の三分の一を負担してきた経緯がある。そして子ども手当へ制度が移行した後も、地方自治体の負担総額は増えたわけではない。

詰まるところケチを付けられる所につけて財政的負担を逃れたい、あるいは家庭がお金を使うより役所が集めて使った方が子供のためになると考えているに違いない。

■松沢知事の提供したいサービスを拒む人もいる

松沢知事は子ども手当の県負担分に相当する金額を保育所や教育機関の施設整備、ワクチン接種そして私学学費補助などに使うことを検討しているという。それらの施策を「子育て支援 神奈川方式」と呼ぶそうだ。
(神奈川県のウェブサイト・知事のページ「県民の皆様へ」http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/00/1199/chiji/kodomoteate/20101210minasama.html

しかし保育所に預けず幼児を育てたいと考えている親や、学校に整備した新たな施設を使わない子供には全く有難くない。
私学学費補助に至っては、時間の経過とともに生徒への補助なのか学校への補助なのか区別が付かなくなる危険もある。

その点、頭数や年齢という平等な基準で配る現金給付ならそんな心配も無い。

■無駄金になる心配があるのは、役所の支出のほうだ

知事のページ「県民の皆様へ」の文章には子ども手当のことを、
「何に使ったか分からない無駄金になる可能性のある」
と表現している。

確かに子ども手当には何の使途の制限もない。しかし役人や政治家は国民から徴収した税を無駄にしないと言えるのか?1000兆円近く積み上がった国債の累積残高に相応しい投資効果はあったのか?単なる利益誘導や公務員のお手盛り・汚職は少なかったか?

大部分の親は、子どもの将来を期待したり心配したりして日々暮らしている。そして子どもを養うために嫌な仕事や職場にも耐えている。
また経済活動を通じて納税の義務も果たしている。子ども手当などの政府からの現金給付も所詮自らが納めた税金の一部が還付されたに過ぎない。
そんな親たちから一律に徴税をして「無駄遣いするお前たちより俺たちにお金の使い道を任せた方がお前の子どものためになる」と主張することは為政者の傲慢な自惚れ以外の何なのか。

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物価下落に対応した年金額引き下げは損か

■物価下落に応じた引き下げだけなら高齢者は得だ

高齢者は年金のみに生活を頼っている訳ではなく、預金を中心としたとした金融資産を他の世代より多く保有し、それを生活費に当てることができる。
よって物価下落に応じて年金支給額を下げたとしても、デフレの進行は高齢者の預貯金の価値を上げることになり高齢者の生活は豊かになる。

菅首相は公的年金の支給額据え置きを検討するよう指示したようだ。しかし年金額は物価変動に対応するというのは法定であり、野党が過半数を参院で占めている以上与党だけでは法改正は進まない。

「年金支給額引き下げは、国民うけが悪く、民主党内では来年4月の統一地方選を念頭に据え置きを求める声があったことに加え、首相は総額約1500億円の減額によるデフレを懸念していた。」(12/18産経新聞)

政府の歳出規模は麻生政権から膨れ上がったままであるし、歳出した現金の行き先が高齢者であろうが企業であろうが景気に影響があるとは思えない。所得補償を受けはじめた農家を含めどの主体に現金が向かっても同じことだろう。

■結局年金債務でいずれ増税

年金への国費負担だけでなく、医療・介護などを含めた社会保障関係の歳出は年を追うごとに膨張して行く。そして政府の赤字は拡大の一途である。
年金額を物価の下落に反して守ったところで、後に来る増税額が大きくなるだけである。

年金額を維持して得をするのは、せいぜい余命があと数年の人ではないか。
いずれ増税によって国の財政の帳尻を合わせなければならない日がやってくるはずである。恐らく消費税による増税で年金受給者にもしわ寄せが来る。年金額の物価に対応した引き下げとは違って、当然の保有している預金を消費するときにも負担が掛かる。
物価下落に逆らった年金額の維持など実に小手先だけの対応でしかないのだ。

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法人税引き下げは間違っているのか

企業にとって税を含めたコストは低い方がいいに決まっている。
企業が生き残りを賭けて、より低コストな国・地域に移転することもあり得る。

作家・三橋貴明氏は法人税減税について日本企業の法人の70%は法人税を払っておらず減税の恩恵は無いと言い、黒字企業の内部留保を増やすだけと批判的である。三橋氏に限らずマスコミの報道も同様のことを指摘する。
三橋氏の予想通り、雇用や投資の増加には結びつかないかもしれない。
しかし日本国内の企業が外国の企業との競争に敗北したり、海外に移転したりして日本国内での雇用を減らすようなことが起きてしまったら元も子もない。雇用を守るためなら国は企業が活動しやすい環境を用意しなければならないのだ。

三橋氏は国内経済の需要が不足していることこそ問題と捉え、「公共投資拡大と的を絞った投資減税」が最も適切と主張している。
しかし企業(特に製造業の大企業)は国内の需要だけを当てにしているわけではない。そもそも今後の日本の人口は21世紀半ばまでに約3000万人も減少する見通しであるから、国内の需要規模が過去と同程度に将来も存在すると考える方が間違っている。
また何らかの新しい商品の市場が発生し国内需要が増加したとしても日本の企業がそれを満たすのではなく外国の企業にその市場を侵食されてしまうかもしれない。
いずれの場合にせよ、世界の企業(労働者)と競争することを念頭に置かなければならないのだ。

公共投資や重点分野への投資減税という政治判断は政治家やその背後にいる圧力団体によって悪影響を受ける。日本全体の経済成長というより、特定の地域や業界への利益誘導が起こる。
また圧力団体の横槍が入らなくとも、将来の有望な産業を見極めるのは困難である。政府の目論見通りに行くと考える方が不自然だ。
経済成長は個々の経済主体の責任で目指した方が全体的に軌道修正がしやすく速い実現が期待できるものではないだろうか。

日本国民の雇用の増加を達成するには大部分の労働者に対し賃下げを強いることが避けられない。
そして投資の増加は法人税の引き下げをはじめとした企業の負担や制約を減らすことが必要である。
その原則から外れた政策には企業から見捨てられる結末が待っている。

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痛税感が足りなさ過ぎる環境税

■標準的な家庭で電気代が月額34円、ガス代が10円増し

1997年日本は京都議定書でCO2の排出削減を約束したものの、むしろ全体ではCO2排出を増加させている。増加主体は家庭、店舗、オフィスなどである。
京都議定書の期限が切れる2012年まで一年を残すだけとなった来年10月から環境税導入とは余りも遅すぎやしないか。そして課税額も少なすぎる。

8日の政府税制調査会で用意された経済産業省の資料『「地球温暖化対策のための税」についての考え方』(http://www.cao.go.jp/zei-cho/gijiroku/pdf/22zen18kai8.pdf)に課税強化によるエネルギー価格への影響(試算)が載せられている。

●電気(世帯当たり)34円/月
●都市ガス(世帯当たり)10円/月
●ガソリン・軽油・灯油(リッター当たり)0.79円

家庭に対し省エネの動機を強めるとはとても思えない僅かな課税である。それでも経済産業省の資料によると「国民生活や経済活動への激変を緩和する観点から、課税強化の段階的な実施を検討する。」という。つまり当面の課税額は更に微々たる額となるようだ。

ガソリンを例にとると、ここ数年のレギュラーガソリンの価格変動はリッター110円から180円と言ったところだ。消費者は0.79円の上乗せなどすぐに分からなくなってしまうに違いない。
また何らかの必要があってクルマを利用している人は、より低燃費のクルマに買い替えるまでは、ガソリンの消費量を減らさないはずだ。現在所有しているクルマを買い替えるのが勿体無いと感じている間は、省エネは期待出来ない。

課税によってエネルギーの消費を抑制するのは、大幅な課税額と省エネの生活様式に移行するまでの長い期間が必要である。
タバコに対する増税のように手荒くやってこそ抑制効果を得ることが出来るのではないだろうか。

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武器輸出三原則緩和で日本は「死の商人」?

■一番の狙いは高騰する開発費の分担

「武器輸出三原則」を掲げてきた日本政府は武器そのものだけでなく、武器製造技術や軍事目的に転用の恐れのあるものまでを輸出禁止扱いとしている。
その方針は武器の国際的な共同開発の妨げとなっていた。
一方で世界の趨勢として兵器開発の費用は高騰し一国では手に負えなくなり、唯一の軍事大国であるアメリカでさえ次世代戦闘機の開発の出資を他国から受けるようになっている。

アメリカより桁違いに武器の調達数の少ない日本なら、なおさら国際共同開発によって武器開発費用の低減を実感できるはずだ。
そもそも似たような価値観を持っていて、戦争に発展するほどの間柄ではない各国がバラバラに武器の研究開発を進めるのは無駄である。共同開発参加国が協力し合って財政支出をより有効に使うに越したことは無い。

■共同開発の対象となる武器は高すぎて拡散しにくい

国会の運営上社民党の言い分を聞かざるを得なかった菅政権は武器輸出三原則の緩和に踏み切れないようだ。
社民党の福島瑞穂党首は「日本製の武器が世界中の子どもたちを殺すことを望むのか。日本が『死の商人』になるのは、平和国家にそぐわない」(12/8読売新聞)と発言している。

しかし武器輸出三原則の緩和で実現する共同開発の武器はもともと高価で途上国の紛争や内戦には調達される可能性は少ない。
日本製品が戦争で頻繁に使われるのがイヤならば現在の紛争地域に使用されそうな武器の輸出を禁止してもいいだろう。
もっとも日本一国が武器輸出に背を向けたところで他の国が条件次第でいくらでも武器を供給するから、犠牲者を減らす効果は不明である。

■法の支配が進んでいる国に対してなら積極的に供給した方がいい

日本は船舶の建造が盛んであるから、当然軍艦を開発・供給する素地があるということになる。おそらく武器輸出解禁となったら警察や軍隊向けの艦船が有力な商品に成長するのではないだろうか。
艦船のほかにも、従来から存在するいろいろな武器が日本から輸出できるかもしれない。
現金で販売するほか、何かの見返りに供与するのもいい。
どちらにせよ相手国の期待に十分応える装備なら、供与に対し感謝されその政府との友好関係も深まるに違いない。
法の支配が浸透し、日本と対立していない国への武器輸出はそれほど躊躇しなくてもよいのだ。

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ノーベル化学賞鈴木章北大名誉教授の定年観

「僕は63歳で北大を定年退職した。少なくとも68歳、できれば70歳まで研究を続けられたらもう少し仕事ができた。菅直人首相に会ったとき、それを伝えるのを忘れた」
「日本では定年になったら自分のリサーチを続けることはまず不可能で、続けられるのはレアケース。それが日本の組織の悪いところだ。米国では定年はない。」
(12/9産経新聞)
今年ノーベル化学賞を受賞した鈴木章北海道大学名誉教授が、8日記者会見でそう語った。

確かに年齢で一律に退職してもらうのは能力本位な人事とは言えない。
では大学教授へ就任後定年に達するまで大学側が業績を厳しく問うてきたのか。ともすると教授そして教授会という組織は大学の中でも保身の図りやすい立場であろう。教授たちがお互いの研究成果を進退にかかわるほど突き詰めて評価してきたのかは大いに疑問が残る。
鈴木章氏は定年の無いアメリカ(の組織)を引き合いに出しているが、アメリカの大学や納税者が研究者の業績を問わずに終身的な研究環境を保障しているとはとても思えない。

一般的に日本の職場は年功序列的な人事や給与制度がまだまだ生きている。大学も長く居ればそう変わらないだろう。
厳しい業績評価の伴わない単なる定年の撤廃は、むしろ人件費が嵩む上に組織の活力を削いでしまう可能性が高い。予め既定の給与にたくさん支出してしまえば研究費用も圧迫する。

定年延長実現の前に、まず馴れ合いを排す厳正な評価制度の目途をつけなければなるまい。そして評価の低い学者には辞めてもらうのだ。
(全員評価が高く希望者全員定年延長という内部審査の結果など信用できようか)
また国から財政的支援を受けている研究機関なら単に学問の世界で評価されるだけでは不十分である。日本は財政難であるのだから税金の使途に関して研究成果はどう日本社会に還元されるのかという視点も評価基準として加えられていいはずである。

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輸入関税を一方的にゼロにしても得なのか

TPP(環太平洋戦略的経済協定)を巡って様々な意見がある。
その中でブロガーの藤沢数希氏が「輸入関税だけを一方的にゼロにしても自国民は潤う」と題して輸入関税の撤廃を主張している。(『金融日記』http://agora-web.jp/archives/1133700.html
その中で藤沢氏は「多くの人が気づいていないだけで、TPPにより利益を得る人の方が圧倒的に多い。だったらすぐさまTPPに参加を表明し、交渉なんかせずとも輸入関税を全部廃止してしまえばいい。」とまで断言している。

藤沢氏の記事によると、日本へ輸出をした外国人は日本円を受け取ることになり、いずれ日本の製品を買う。「日本の国内でしか使えない日本円を持っていてもしょうがない」から。また日本政府が国債を発行して回収できるとも言っている。

しかし日本にとって輸入が必要な物資を全て外国人が出向いてきて販売するとは限らない。必ず日本円で決済する訳でもない。例えば石油なら日本の会社が産油国へ出向いて開発にまで携わって手に入れる場合も多々ある。決済もドル建てではないだろうか。

藤沢氏の主張だとまず外国人が物を現地の通貨で売ってくれて、その後現地の通貨を現地の物と交換することになるという大筋である。
そして外国人が日本から買いたい物が全く無いあるいは国際的に通用する通貨での取引でないなら、外国人は日本に輸出などしないはずという。
藤沢氏の論が成り立つのは、前提として現状の日本のように輸出産業や海外投資が盛んで経常黒字の状態であることが大前提である。

では日本が経常黒字を永遠に計上できるかといえばそんな訳は無く、これまで同様多大な苦労が結実してこそ黒字が出るのである。
仮に藤沢氏の主張のように日本の輸入関税を撤廃する一方で、日本からの輸出のみに関税が残っていたとする。その状態で日本の輸出産業と競合する国が輸出輸入両方向で関税が掛からない条件を獲得したなら、日本の輸出産業は明らかにハンデになる。代わりに日本の競争相手が不当な利益を得る。

経常黒字が長い間続き円高に苦しんでいる企業も少なからず存在するので、藤沢氏の主張するような一方な輸入関税の撤廃をしてもあまり問題は表面化しない。むしろ円高が早急に是正されるだろう。
ただ長期的な視点では売れるものがあってそれに応じた分だけ買うことが出来るのだから、輸出企業にとっても不利にならない条件を交渉で引き出しておくべきではないだろうか。
もし日本が経常赤字に転じて貿易相手へ関税引き下げを求めても、相手国内の利害関係者が抵抗して易々とは応じてくれまい。

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東京の銃砲店がストライキ

東京の一部の銃砲店が経営悪化を訴えるために12月4日、5日の二日間休業するという。
猟銃の取得が銃刀法改正のため一層困難になり、売り上げが激減していると主張しているようだ。

お客を門前払いするストライキという手法では、とても今後の商売の繁盛するとは思えない。もっともお客が少なすぎてほとんど何ら影響力を持たないのだろう。

銃砲店が問題視している銃刀法の改正は、長崎で2007年に起きた散弾銃乱射事件がきっかけである。猟銃所持申請や免許更新の際に精神科の診断そして免許更新前に毎回技能講習を義務付けるようになった。

ではこれらの新しい規制で猟銃による犯罪を効果的に抑止できるかといえば疑問ではある。
しかし取得そのものが困難で、国民の間から猟銃の所持が減少すればそれによって銃による犯罪そして事故は減ることはあっても増えはしないだろう。

銃砲店は、銃刀法改正が狩猟や有害鳥獣の駆除までも阻害しているという。
しかし新たに義務付けられた技能講習は半日で終わる程度のもの。医師による診断も精神科という制限は無かったものの以前から必要だった。困難といえば診察してくれる「精神科医」を近所で見つけることぐらいである。

かつて狩猟ブームと言われるほど時期があった。昭和50年頃まである。
猟銃(散弾銃・ライフル銃)を使う狩猟免許(第1種)所持者数は昭和51年で50万人以上に上った。
ブームが去った今では十数万人に過ぎない。狩猟や射撃をやめる人が出れば所持していた銃も他人に譲られる。

銃砲店業界の衰退の本質とは、かれこれ30年以上も続く狩猟や射撃人口の減少なのだ。
また銃砲業界のために散弾銃の流通を増やす政策に転じるなど以ての外ではないだろうか。
社会にとって大事なのは獣害を効率よく抑止することであって、単に狩猟・射撃人口を増やすことではないのだから。

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サッカーワールドカップ日本落選

2050年までにFIFAワールドカップを日本で開催し、日本代表チームはその大会で優勝チームとなる。(日本サッカー協会「JFA2005年宣言」)

2日国際サッカー連盟(FIFA)が2018年と2022年ワールドカップの開催地を決定した。18年はロシア、22年はカタール。22年の開催に立候補していた日本は落選。

何を夢見ようが日本サッカー協会の勝手ではあるが、国や地方自治体を巻き込んでワールドカップ開催を誘致するなら負担に相応しい利益があることを国民や地域住民に対して納得させる必要があるだろう。
スタジアムの建設を含む会場の整備の負担について、国民の間で明確な合意が出来ていたとはとても言えない。

そして誘致活動そのものも、手間と費用が掛かる。日本が開催地として他の地域に遜色が無くても誘致合戦に勝つ見込みが低いなら誘致活動から降りるべきではないだろうか。
日韓共催だったとはいえその20年後に再び日本に誘致するのは諸外国から共感が得られまい。
サッカーワールドカップは4年に一度の開催であり100年に25ヶ所でしかできないイベントなのだから、地元に半世紀に一度でも巡ってくれば十分有難いことだ。

はっきり言ってサッカー観戦で喜怒哀楽を露にして馬鹿騒ぎをするだけの輩もまた多い。
ワールドカップ開催で負担の圧し掛かる財政当局や警備関係者は日本落選に安心したのではないだろうか。

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