電気料金値上げの必要性

■自動販売機やパチンコを悪者にするのは不公平
東日本大震災で生じた電力供給不足に関し、東京都知事に再選した石原慎太郎氏は「自動販売機なんてやめちまえ」と自販機を電力浪費の槍玉に挙げた。さらに石原都知事はパチンコの店舗の照明を非難したという。
また14日、都議会民主党が自販機の冷却機能を夏の午前10時から午後9時まで停止するという条例案を公表した。まるで知事選に圧勝した石原都知事の人気に便乗するかのような行動である。

しかし様々な消費行動(生産行動)に伴う電力使用の善悪など峻別することは所詮不可能である。都知事個人の判断であれ、国民全員を巻き込んだ議論であれ善悪の結論を(今年の夏を迎える前に)得て大幅な電力使用削減を達成することは困難を極めるだろう。

■電力不足を乗り切るために必要な電気料金値上げ、談合、補償
電力の使い方に善悪を決められないなら、電力消費抑制の為にどの消費を止めるかは個々の経済主体が判断するしかない。
そして経済主体に電力消費抑制の行動を促すためには電気料金の大幅な値上げが必要ではないか。

今までのように値上げ無しで一部の人の良心に頼っていては、電力消費抑制に協力しない個人や業者が相対的に(あるいは絶対的にかもしれないが)得をすることがある。痛みを感じるほどの値上げなら彼らにも社会的コストを負担させることが出来る。

同業者が集まって話し合いを持つというのは、いわゆる「談合」して価格を吊り上げ消費者が損をすることに通じるかもしれない。しかし今回は突然の大停電を避けるために仕方の無いことだろう。

電気料金値上げや業界内での調整などによる自主的な使用抑制では必要な削減量に達しないと見込まれる可能性もある。
その時は電力会社または政府が大口の消費者に供給の制限を交渉し、補償をするべきではないか。決して大口の顧客が悪者な訳ではない。早急に必要な削減量の目星を付ける為だ。

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東日本大震災 義援金の配分

13日宮城県は、東日本大震災のために集まった義援金を配分することを決定した。死者・行方不明者一人当たり35万円、住宅の全壊でで35万円、半壊なら18万円交付すると言う。
当たり前だが居なくなった本人には、今後の生活費は掛からないに決まっている。義援金の配分には死亡・行方不明以外の基準が必要では無いか。

■死者・行方不明者一人当たりという基準では「前向き」と言えない
死者に掛かる費用としては葬式代が上げられるが、もし高齢者ならばやがて遅かれ早かれ訪れる死のために葬式の費用を残してあるのが普通だろう。例え現金が無くても持ち主の居なくなった宅地を処分して捻出できるかもしれない。
また残された遺族が震災前から亡くなった人と家計を別にして生活を送っていたなら(または震災を免れていたなら)、親族の死をお金で埋め合わせるのは「ズレている」対策である。

■被災世帯の子供の数を最も重要視すべき
問題は死んだ人自身よりも、死んだ人が残した生き延びている扶養家族である。
子供をひとり残して死んだ場合もあれば、3人ということもあろう。どの世帯も一律に死者の数を基準でお金を配られるのは、今後の生活実態に沿わない。
地震の被害について子供は全く責められない立場であるはずだ。子供こそ社会全体無条件に守るに相応しい存在である。

震災の責任は多かれ少なかれ大人にある。日ごろからの準備、政治的関心そして当日の行動など様々な点で反省点が上げられる。
大人だけなら何より自分の財産を処分して生活を再建すべきでないだろうか。

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神奈川県知事選 黒岩祐治候補の政策

神奈川県知事選に立候補した元フジテレビニュースキャスター黒岩祐治氏は、自民党県連から急遽出馬を要請された為ゆえ神奈川県をどう変えたいのか全く明確にすることが出来ない。
(黒岩祐治の神奈川ビジョンと緊急政策http://island.opinet.jp/kuroiwa/pdf/kanagawa_vision.pdf

■何ら具体的な提案のない公約
黒岩氏は『日本一の医療体制』『楽しくなければ介護じゃない』『ソーラーパネルの輝くキラキラ神奈川』など誰も反対しないようなお題目を並べている。
それでは一体(神奈川の)医療や介護のどこを変えていくのかと言えば、まるで具体的な話がない。

また黒岩氏は政策を実現する方法として、『知恵袋会議』なるものを創設すると言う。各分野の専門家や有識者そして県民の知恵を集約する場なのだそうだ。
しかし、知恵を出したり集約することこそ知事や議員など公務員の本来の役目であるはずではないか。

■ソーラーパネル導入の財源が不明
太陽光発電が比較的安心できる供給方法なのに、普及が遅々として進まないのは余りにも高コストであるからに他ならない。

黒岩氏は高コストという難点をどう解決するつもりなのか。あるいは高コストのまま導入し、他の歳出を犠牲にするのか。何かしら犠牲にするなら、その犠牲はどの歳出なのか決まっているのか。

黒岩氏は自民党から担ぎ出された。公明党や民主党の推薦も受けている。
恐らく当選しても、与党議員の持ち込む陳情を断り切れず神奈川県の財政はこれまで通り悪化の一途をたどっていくのではないだろうか。

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私立高校入学を押し付ける公私間協議という会議

『皆さん、公私間協議という理不尽な会議がある事を知っていますか?』
東京都知事選に立候補を表明したワタミグループ創業者渡邉美樹氏のブログの一文である。

教育委員会とその管轄地域の私学の団体が、公立高校の定員枠と私立の定員枠をこの協議の場で決めている。神奈川県教育委員会の委員を務めていた渡邉氏によると、その比率は公私が6対4の割合であったという。
渡邉氏は、公立の定員数を増やすことを提案したものの受け入れらなかったことを理由に一昨年委員を辞任した。

渡邉氏はこの制度の根本に私学の生徒数を確保するという思惑があり、不景気で私学に進学できない生徒が被害を受けていると主張している。
渡邉氏は教育委員に就いていた当時、定員数を増やす目途を本来昼間学びたかったであろう夜間の定時制に在籍している生徒数をもとに2000人以上と提案した。
「本来昼間学びたかった」というホンネに根ざした良い目安だとは思う。
ただ住民本位で考えれば、何も既存の私学が存続することを当然のこととは決して願っている訳ではないので私学の定員枠を確保して置くこと自体不要である。

勿論私学が生徒集めに苦労するのは、学校運営費のせいもあろう。
しかし本質的には、かなりの数の私学が学校の魅力が不足しているせいで勉強の出来る生徒を集めるのに失敗しているのではないだろうか。
もしその私学独特の校風や制度が受験者から全く認められないなら、「店じまい」すべきだ。

また建学の精神などに拘らず学校事業をしたいだけなら、公立高校の下請けのような立場を目指してもいいだろう。
地方自治体自信が高校を経営するより低コストで学校を切り盛りして公金の補助を受けるという具合で、言ってみれば「民営化」である。従来の公立校と同等の教育程度なら納税者も大歓迎するに違いない。

橋下知事の率いる大阪府は定員枠による公私の住み分けを変えつつあり、今年から公立高校と私立高校が獲得生徒数を争うような模様だ。
渡邉氏も東京都知事に当選した暁には、是非私学関係者の救済のような制度を廃止してもらいたい。

関連記事:東京都知事選 東国原英夫候補の政策

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自然災害に対する不適切な復旧支援策

27日霧島連山の新燃岳の噴火災害について、地元宮崎県の知事や経済界が海江田万里経済産業相へ支援を求めた。河野知事からは企業の資金繰りや火山灰を取り除くことへ国の支援を要請し、地元の経済界は借金の利払いの免除を要望したという。
要するに県も企業も国からカネが欲しいと言っているだけなのだが、以前の状態への復旧や商売の不振を全て国(≒他の地域の納税者)の責任にされたら堪らない。

そもそもカネを投じる価値があるなら県が借金して調達しても、いずれ税収増という見返りがあったり地元の有権者から許容されるはずではないだろうか。
また河野知事は商店街を訪れる人や観光客が減ったことに触れたようだが、商店街や観光地の売り上げ減少は、火山噴火のせいに全てしていいのか疑問だ。

そして経済界の要望した利払いの免除も、噴火以前の事業の不振を不問にしてしまうかも知れない雑な手法である。
元々不振な事業なら、事業そのものを整理すべきである。その利払いの免除は関係者の責任を多少逃れるようにするだけであり、公金の使途として極めて不適切だ。

おそらく火山周辺には多量の火山灰が降り積もっており、その全てを退けるのは膨大な費用が掛かることだろう。
しかし自然災害に対し、以前と全く同じ状態に戻す義務を国や地方自治体は負わなければならないのか。それは違うだろう。

例えば農地が厚い火山灰に覆われた場合、すぐに作物が育つ状態に戻す費用とその後の見返りである生産額をまず比べる必要がある。
もし出荷の無い「自給的」農業だったり従業者が高齢かつ跡継ぎもいないのが実態なら、復旧は無駄な投資で終わってしまう可能性が高い。

見限る検討の必要があるのは生産設備に留まらない。被災地が過疎ならば災害を機に住居の移転を奨励することも選択肢に入れるべきだ。
もう国や自治体には災害復旧どころか、過疎地の生活を支援する力も無くなりつつあるのだから。

他人のカネに頼るなら、本来その効果を問われてしかるべきである。
心配なのは、現在の民主党政権が支持率回復や目先の選挙のため「バラマキ」の誘惑に負けることだ。

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遅すぎる国際緊急援助隊の出動

ニュージーランド南島の都市クライストチャーチで現地時間22日午後1時頃、マグニチュード6.3の強い地震が発生した。白昼の災害であったため建物の倒壊した様子がすぐに日本でも伝えられた。
一連の災害への日本政府の対応は「国際緊急援助隊」の派遣である。日本時間23日に午前北沢俊美防衛相が国際緊急援助隊に派遣命令を出し、現地空港へ到着するのが現地時間24日午前3時頃のようだ。
地震発生から現地最寄の空港到着まで38時間が経過することになったが、生き埋めになった人を救出するには出動するタイミングが余りにも遅すぎやしないだろうか。

根本的な間違いは当事国の支援要請を待って日本を出発するという点である。
当たり前だが、生き埋めなど一刻を争う事態に相手の主権を尊重して待ちの姿勢でいるというのは被災者の利益になっていない。
また当事国がどういう要請をしようが、日本としては元々限られた人的物的資源しか提供できないであろう。

少なくない数の建物が倒壊し、人命の救出に現地当局が遅滞する可能性が認められる場合、即援助隊を編成して現地へ向かわせるべきである。
大事なのは近くの空港なり港へ確実に降りられる手筈と取っておくこと。被災当事国の要請は援助隊員が機外に出るときまでに受けていれば問題なかろう。
当事国の要請や新しい情報によって、不足するものが判明したら追加して送ってもいいのだ。

なお外国政府からの問い合わせに返答できないなど被災地の統治が機能していなければ、もう外国の主権に関わる法的手続きは無意味だろう。被災者本位で行動すべきだ。自国民が被害に遭っているなら尚更である。

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見直すべき武器輸出三原則

海上自衛隊が保管していたプロペラがアフガニスタン軍に供与される見通しとなった。表向きはアメリカが輸送機をそのプロペラとともにアフガニスタンに供与する形を取る。毎日新聞の報道によると今月内に日米の政府間で契約が結ばれるという。
日本政府内では「武器輸出三原則」に抵触するかどうか検討されたようだ。同様のプロペラは民間機にも使われいるから「武器」にあたらないという理屈らしいが、明らかに使用目的は軍事作戦だ。
しかし世界各国が国際的な武器の取引をしている中、日本一国のみの武器輸出規制自体世界平和に余り役に立っているは思えない。その原則自身を見直すべきではないか。

法律そのものが武器譲渡の障害になっているなら、その法律を変えるのが筋である。武器の譲渡が実質的に自国の利益を害するかどうかだけを判断し、譲渡を要請してきた国へ迅速に返答をするのが望ましい。軍事的な問題なら尚更決断の早さが重要に違いない。

また同盟国に対してなら、むしろ積極的に武器を融通し合って困難を乗り切るのが当然のことであるはずだ。

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調査捕鯨中止の後味の悪さ

捕鯨反対を主張し調査捕鯨を妨害してきた団体「シー・シェパード」の活動に耐えかね、農林水産省が今期の調査捕鯨を途中で止めることを決定した。

ここ数年捕鯨船団に対するシー・シェパードの妨害活動は事故を厭わない危険なものだった。そのせいで我が国の活動が中止に追い込まれるとは、記者会見で中止の件に言及した枝野幸男官房長官でなくとも怒りの気持ちが湧いてくる。

不愉快な気持ちに追い討ちをかけるのが危険な妨害活動ゆえ調査捕鯨を中止せざる得なかった日本政府に対するオーストラリアとニュージーランド政府の態度だ。
調査捕鯨の中止を歓迎し今後の調査捕鯨を完全に廃止することを求める声明を出したという。

シー・シェパードの妨害活動に便乗したとも言える外国政府は、卑怯と表現するに相応しいのではないか。

また生息数の実態に関わらず全面的な捕鯨禁止の提案とは、突き詰めればクジラを獲るのは残酷極まりないという主張に他ならない。

公海上の範囲まで動物に優劣を付ける他国の価値観に付き合わされる必要な無い。
日本政府は、捕鯨を危険な行為で妨害する団体のみならずそれを野放しにしている外国政府とも争うべきだ。

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消費税を全額社会保障に充てるという方便

NHKの報道によると連合(日本労働組合総連合会)が政府・与党に消費税の段階的な引き上げを提案するという。
提案は消費税を全額社会保障に充てることとしているそうだ。
単にそういう「表現の仕方」をしただけで国民が増税に文句を言わなくなるなら、政治的に「上手い」やり方なのかもしれない。
しかし消費税を目的税化にしたところで、国民の税負担は全く軽減しないのだ。

平成21年度の予算では社会保障関係費は約28兆円。対し消費税収入は10兆円に満たない。差額の18兆円ほどを消費税の増税によって賄えば、全額社会保障に充てたようにも見える。
ではそのように増税した場合、今まで社会保障関係費と消費税収入の差額に充当してきた他の税収は何処へ行くのか。この消費税増税と同額の税を別の歳出に振り替えたなら、結局その別の歳出のために消費税増税が実施されたも同然になる。国債の償還に当てたなら、過去の様々な歳出の支払いに回ったと考えられる。
所詮社会保障以外の歳出は一切増やさないということを担保出来なければ、増税分が全額社会保障に使われることなどあり得ないのである。

これは昨今話題になる消費税と社会保障費の関係に限らず、目的税という制度そのものの問題点である。目的税化自体で全く新しい財源が生まれる訳で無いし、むしろ目的税化は後々になって使途の制限が足かせになる危険性を孕んでいる。

もし社会保障関係費以外の歳出を減らすべきというのが国民的合意なら、何より社会保障以外の国民が享受している行政サービスの削減が議論の俎上に上げられるべきではないだろうか。

政治家の口からに限らず、増税の局面で福祉目的税化をことさら強調する担保の無い「方便」が相変わらず出てくるのが不愉快でならない。

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宗教法人への課税強化

金閣寺、銀閣寺の住職を務める僧侶が5年間で2億円の申告漏れを国税局から指摘された。
指摘されたのは有馬頼底・臨済宗相国寺派管長。揮毫一点5万円で美術商からの依頼を受けていた。

毎日新聞によると「揮毫料は非課税のお布施と同じだと考えていた。文化庁の予算が少ないので(受け取った揮毫料で)文化財保護のために古美術品を購入し、境内の美術館に展示している」と取材に説明したという。

教団を管轄する長が税に疎い、あるいは納税に責任を持たないというのは許されまい。特に有馬管長は管長の立場について久しい。
また宗教法人は税制面で他の法人に比べて優遇されている。営利団体と類似の事業を営んでも税率が軽減される。そういう特権を認められるなら尚更公私の区別を厳しく問われるべきである。

古美術品の購入が同情を呼べる言い訳になると有馬管長は考えているようだ。しかし相国寺が文化財保護に相応しくて、他の人の所有では適切な保護にならないとは必ずしも言えないだろう。

宗教関係者には自分たちこそ特別高貴な職業という驕りがあるのではないか。
それゆえ税務に疎かったり、自分本位に消費しても大目に見てもらえるという甘えだ。

そもそも信仰とは、信者によってのみ支えられるべきである。
決して宗教法人の存続やそこに勤める職員とその家族の食わせるための信仰や布教であってはならないはずだ。それが許されては他の商売と大差がない。

ところが宗教団体の活動が信仰に留まらず、他の目的(例えば文化財の保護でもいいが)を持ったり、専従職員に代表される利害関係者が増えてくると「事業拡大」を良しとなりやすい。

宗教法人が信仰から逸れて「多様な欲望」を内包する法人に墜落しないように、個人や営利法人とそう変わらない経済活動へ課税を強化すべきでは無いだろうか。

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