現在の雇用に拘る中野剛志氏のTPP論

京大助教中野剛志氏はTPPは日本の利益にならないと主張している急先鋒だ。
http://www.youtube.com/watch?v=nRmNJpUj5sI
その根拠は
●全てのTPP参加国から見て日本市場は大きな輸出先である。
●他方日本から見てTPPの参加国の多くは、それ程大きな市場では無い。
●唯一巨大市場のアメリカと相互に関税を全廃しても、アメリカのドル安政策で日本は輸出を増やせない。
よって日本はTPPによって輸出を増加できないばかりか雇用を失い、また農業も廃れ取り返しのつかないことになると結論づけ危惧をしている。
しかし巨額の対外純資産を蓄えている日本こそ、大いに消費を楽しむ権利があるとも考えられるし、将来労働力人口の減少が確実なのだから海外に任せた方が生産性が高い物資は輸入に切り替えるべきではないか。
以下に反論を上げてみる。

■そもそも輸入も増やさなければ、円高が進行してますます輸出が困難になる

これまで日本は30年以上にわたって経常黒字を保っている。そのため円高が止まらず輸出のハードルは高くなる一方である。円相場が上昇する度に工場の海外移転やその下請け企業の廃業など、外貨を稼いだり納税をする「優良な雇用」が危機を迎える。それが過去から現在に至るまで日本の経済の大きな悩みである。
為替相場を安定させるための根本的な解決は経常収支を均衡させること、日本の場合は結局輸入を増やすしかない。

何を輸入するかは政府が決めるのではなく、関税をはじめとした貿易障壁を全廃したうえで個々の経済主体が選択できる権利が認められるべきだし、それが最も効率が良い。

■関税撤廃は小国相手からでも構わない

日本と比べて経済規模の小さい国が相手でも、互いに関税の無い公正な取引環境が構築できるならそうすべきだ。
当初は日本の輸出はそれほど増えないかもしれないが、小国が日本相手に利益を実現していけば、より大きな別の国が貿易障壁の相互撤廃に参加する動機になるだろう。(韓国がFTAを進めている傍らで、日本が焦っているのと同様なことが起こるはずだ)

なおTPPの参加交渉がTPP参加国以外とのFTA交渉を阻害するものではないだろうから、TPP参加国以外の大きな市場を持つ国と自由貿易交渉を同時に進めてもいいではないか。

■いつまでも輸出超過で巨額のドルを保有しているのは危険

中野氏はTPPについてアメリカ側が輸出を増やすこととは日本にとって損と考えているようだ。しかし、そうとばかりも言えない。
日本は経常黒字にもかかわらず円高を阻止しようとして為替介入を度々実行してきた。その結果、政府は約80兆円相当のドル建資産を保有することとなった。既に政府は過去の介入後の円高ドル安によって含み損を抱えているはずだし、恐らく今後もドルの価値は下落の一途でドル建資産の保有は危険を伴う。
そうならば、米国債を買って保持するよりアメリカから必要な物を買った方がいい。勿論それは為替介入より円高を止める有効な手段でもある。

■輸入を増加させて日本の少子高齢化社会を乗り切るべき

中野氏の危惧は雇用の減少だ。TPPが実現したら農業分野に限らず様々な国内の産業が淘汰に遭うに違いない。確かに仕事を失うことによる個人への悪影響は極めて大きい。
ただし日本は今後21世紀半ばまで急速な高齢化を迎える。総人口に占める生産年齢人口(15~64歳)の割合は2050年までに約60%から50%程度に低下すると推定されている。既に現在でも肉体的にキツイ不人気な労働は外国人を日本国内に連れ込んで当たらせているし、将来さらに人手不足が深刻化する可能性がある。長期的に日本が必要としているのは雇用増加ではないのだ。

慢性的な人手不足なら、儲からない商売や国から補助金を受けている事業から生産される商品は輸入品に取って替わるのが望ましい。ここはやはり自由貿易による競争で企業の淘汰を進めるべきである。

■農業を特別扱いする必要は無い

農産物の関税撤廃によって日本国内の大部分の農家が壊滅的影響を受けることを心配するのは、中野氏だけではない。日本の食料自給率がさらに低下すると、いざというとき食料の確保が難しくなるとというのが農産物輸入自由化に対する典型的な反対理由だ。
食料の確保が心配になる気持ちは分かるが、もともと全国民に必要なカロリーを用意する能力が無いコメ農家・小麦農家を当てにするより外国から格安の穀物を政府が備蓄してくれた方がずっと安心確実ではないか。
民主党は農家を始めとした第一次産業に総額1.4兆円の戸別所得補償をするとマニフェストに掲げている。毎年それほど配るくらいなら、同額で全国民が一年間飢えを凌ぐ分の穀物を外国から輸入して備蓄できそうだ。毎年続ければ数年分蓄えられる。

■日本はお金持ち、買い手の立場 決して不利ではない

もし中野氏の見方同様アメリカを始めとしたTPP参加表明国が日本への輸出が輸入を上回ると目論んでいるなら、それこそ日本は強気で交渉に向かうことが出来る。日本は彼らが望む雇用や外貨を提供する側なのだから。
TPPが形作られていく過程でそのルールが日本にとって到底受け入れられないものなら、交渉の途中で参加を取りやめ二国間のFTA・EPA交渉に重点を戻してもいい。ルール作りの交渉を始める前から日本は損すると決めてかかる理由はない。
日本は長く貿易立国として繁栄してきたのであり、またTPP参加によって国家主権を放棄するのでもない。日本全体では何ら自由貿易を恐れなくていいのだ。

関連記事:三橋貴明批判 TPPはアメリカの利益にしかならないのか
      :三橋貴明批判 中国を日本に依存させることは出来ない

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年間自殺数3万人は橋本政権に責任があるのか

『地方の経営者団体を講演で回っていますと、「自分の友人の経営者が、緊縮財政後に自殺した」という心が痛むお話を聞くことが多いです。多くのケースで、自ら命を絶たれた方が抱えていた負債は「数百万程度」なのです。経営者が「わずか国民所得程度」の負債のために自殺してしまう国は、やはり歪んでいるとしかいいようがありません。』
作家・三橋貴明氏は自殺の増加を橋本政権の消費税引き上げ、公共投資削減などの「緊縮財政政策」に原因があるとしている。
三橋氏の提示する資料によると、自殺数は失業率や平均給与とも一致しない。消費税を引き上げた翌年から自殺数が三万人台に跳ね上がり、今日までほぼ同水準を保っている。
(ブログ『新世紀のビッグブラザーへ』http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10768807417.html#main
数字を見る限り、橋本政権から自殺数が高水準で一定しているから三橋氏の言うとおりの結果だ。
しかし消費税を引き上げたとは言え政府の歳入総額はそれほど増えていない。また最近の財政は空前の国債発行を伴う極めて積極的なものだか、自殺数は橋本政権前の水準には程遠い。自殺増加を消費税や緊縮財政のせいにするのは、あまりに表面的な分析ではないか。

■事業経営の行き詰まりを税金で救うべきでない

自殺を減らすことは間違いなく政府に期待される役割である。そして政治は社会の全ての結果に責任を負わなければならないとも言える。しかし企業経営者にも景気の先行きの予想に責任を持たせるべきだし、景気に関わらず衰退している産業なら延命するのは資源の無駄遣いである。
何と言っても私利私欲から出た行為の失敗を国民の税金で救うのは不公平だ。国(赤の他人)のカネを頼りにしてでも自分の債務者に迷惑を掛けないようにしたいというは人情として理解できるが、所詮その人の勝手でしかない。

■自殺増加の原因は社会の急激な変化

従来の産業を守るために国が借金をしてでも歳出を続ければ、当面は人心の不安も和らぎ自殺も減るだろう。
しかし世界の流れに抵抗して、既存の企業を温存しては世界の進歩から取り残されてしまうはずだ。日本の人口はとても鎖国で養えるような人数ではないから、世界情勢の変化に対応しなければならない。放っておくと長期的には失業を増やすことになる。
増税を拒み、国債を延々と発行し借り換えを続ける訳にもいかない。財政収支の均衡から逃げ回っているなら、いずれ橋本政権時とは比較にならない社会的混乱がやってくる。その時に自殺が増えるのもやはり困るのだ。

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「タイガーマスク」への警察の無粋な態度

昨年の暮れ漫画「タイガーマスク」の主人公伊達直人を名乗る人物から群馬県の児童相談所へランドセル10個が送られて以来、全国各地の児童養護施設に対し匿名のプレゼントを送る行為が続々と発生している。一連の現象は「タイガーマスク運動」とまで呼ばれるようになった。
中には、児童養護施設ではなく警察署の前にランドセルや現金を置く例も起きている。
その場合警察は施設にプレゼントを引き渡すとは限らず、拾得物として扱い3ヶ月後には県の所有物になる可能性もあるという。
なぜ警察は託された贈り物を、「タイガーマスク運動」同様の行為と類推して素直に受け取れないのか。

■警察もプレゼントすることを楽しめばいい

もしその警察署に他の様々な仕事が溜まっていて、余計な仕事がまた増えたと感じているなら少しは同情の余地もあろう。
しかし法律を厳格に尊重して執行しているという態度なら賛成できない。警察にとって法律を遵守した行政とは冤罪を生まないようにすることが最大の目的である。(要は警察官が自らを厳しく律しろということ)
到底犯罪行為とは呼べない事象に対しては法律の当てはめに頭を悩ませるのではなく、どうすれば丸く収まるのかということを第一に処理すべきである。
また「タイガーマスク」に代わってプレゼントを贈る相手を選ぶのも、実際に受け取る相手の気持ちを思えば、いい気分で取り組めるはずだ。警察が仲介して贈り物を貰うことを拒絶する福祉施設などありはしないだろう。

■プレゼントは「ハズレ」もある、それを許すのが礼儀

「タイガーマスク運動」を受けた当事者である児童養護施設側が、お礼とともに要望を表明した。(全国児童養護施設協議会http://www.zenyokyo.gr.jp/whatsnew/110113.html
贈り物をする前に児童養護施設へどんな物が必要とされているか確かめて欲しいとのこと。
児童養護施設の運営上少しでもムダを避けたいのが当然といえばそうだが、贈り物にはムダが付き物。送る側の驚かしたい気持ちそして今回の運動なら匿名で喜ばせたい事情を受け取る側は酌んで欲しい。

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商品価格を統制しようとする愚策

『…TPPとは「他国から製品・サービスが安く入ってくる」事になるため、デフレを悪化させるのも確実です。何ゆえに、デフレに悩む日本が、「他国から安いものが入ってくる」TPPに参加しなければならないのでしょうか。』
作家・経済評論家の三橋貴明氏は日本がTPPに参加することへ疑問を呈している。(「新世紀のビッグブラザーへ」http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10766886125.html

家庭でも企業でも購買する側に立つ局面なら世界中から欲しい物を購入できる方が良いに決まっている。生産性を無視してまで物価下落や雇用減少を阻止しようとする三橋氏の考えでは、世界の経済の流れから取り残されるに違いない。

■世界の相場を無視して高い物を買い続けなければいけないのか

三橋氏はデフレ状態を日本の最大の経済問題と捉えている。確かに販売単価が下がり売り上げ全体が縮小している多くの企業はその通り苦しんでいるだろう。
しかし同じ市場に続々と新規参入してくる企業があれば、競争のせいで価格低下は免れられない。少数の企業間競争でも生産コストの削減が出来ればやはり価格が下がりうる。

そういった経済原理に背くかのように貿易(自由競争)を制限して弱い産業を守ったところで、代わりに国内の生活コストは海外に比べ割高となる。国民の生活にお金がかかるなら、彼らを雇う企業にも高コストのしわ寄せがくる。
自由貿易で淘汰されるはずの国内産業(雇用)を保護するせいで、消費者、自由貿易体制で生き残れる企業そしてこれから人材を求めようとする新興企業も迷惑を被る。

■世界の物価に日本を合わせていくしかない

世界は、日本人よりずっと低賃金で働く労働者や失業者で溢れている。そんな中で今までと同質の商品を同じ生産性で提供し続けるだけで途上国との所得格差を維持しようとする考えがそもそも甘いのだ。
今のところ、日本国内には大部分の国民を養うほどの希少な鉱物資源がない。恐らく将来にわたっても毎年数千万人を潤すような資源は発掘されないだろう。日本人は高所得を得られる特別な立場にはない。
ならば、日本人は世界の経済的潮流に合わせてその物価や賃金を受け入れるしかないではないか。

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ナンバープレート交付というお役所仕事の無駄

原動機付自転車いわゆる「原チャリ」の保有には年間1千円~1千6百円の軽自動車税がかかる。
総務省の抽出した157自治体への調査の結果、ナンバープレートの交付とその後の徴税の人件費などが課税額を上回っている自治体が1/3にも及ぶことが判明した。(自動車関係税制に関する研究会報告書http://www.soumu.go.jp/main_content/000082119.pdf
8日の産経新聞では総務省が警察庁に原動機付自転車への課税を廃止する可能性を伝えていたという。
徴税コストが徴税額を上回るということは、その税金がほぼ全て徴税に関わる公務員の給与となるということに他ならない。納税した者へのサービスは皆無だ。行政サービス無しで済ませるなら課税は廃止しなければならない。

■ナンバーが犯罪抑止になるかも知れないが…

バイクが犯罪に使われたり、またはバイクそのものが盗難にあった場合ナンバープレートが犯罪捜査の有力な手がかりになる。
しかし、だからと言ってナンバープレートを市町村の窓口まで出向いて交付を受ける必要は無い。工場出荷時点あるいは、輸入車の販売時点でそのバイク特有のナンバープレートを取り付け、表示すること義務付ければいい。さらにバイクの本体部分に外側から確認できる刻印があれば尚いいだろう。当然コストは消費者が負担する。
所有者の情報は地方自治体抜きで警察が始めから保持していればいい。また所有者の登録業務は役所の窓口で公務員を働かせるより、バイクの販売店に大部分を任せる方がコストが安く済むのではないか。

■行政が取り組むべきは無保険車を無くすこと

バイクを巡る窃盗だけでなく、交通事故の対策も行政の役割である。
バイクのうち義務であるはずの自賠責保険の加入を怠っている者が少なからず存在する。無保険車から被害の救済は政府の立替払いをする制度があるため、被害者が泣き寝入りすることは無い。
しかし法律で加入が定められた保険料を払えずにバイクを運転する者には、バイクを利用する正当な理由が無いだろう。たかだか年間数千円の保険料さえも負担できないのだ。
警察はバイクの所有者情報だけでなく保険の加入状況も把握することによって、危険負担を他人に押し付ける行為を取り締まるべきではないだろうか。

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野田聖子代議士の家族観

6日、野田聖子代議士が50歳にして出産をした。
結果的には母子ともに健康であり、お目出度いことに違いない。しかし50歳近くになって、しかもわざわざアメリカへ出向き他人の卵子を得て体外受精をしてまで子どもを求めた野田聖子氏の気持ちはどんなものであったのだろうか。

野田氏にとって出産とは、単に自分の子どもを授かるという以上に野田家の跡継ぎを作る義務と言ったところだろう。何しろ彼女自身が野田家への養女として迎えられ野田家を継ぐことを期待された身分である。
野田氏の持つ家族観には、決して家は絶やしてはならないという強迫に近い思いがありそうだ。

かつての日本(おそらく外国も事情はそう変わらないと思うが)は家と職業が一体となっていて、また社会福祉なども無きに等しく、家族同士で支えあった。つまり運命は家族にかかっていたと言える。跡継ぎがいないというのは、家族が生活していくのに現代社会とは比較にならない大問題であっただろう。
そして子どもが出来ない場合、嫁の責任とされその女性は惨めな思いをさせれたに違いない。
しかし現代は職業の大部分が「サラリーマン」の身分のものとなり、多くの場合家庭と仕事は分離された。社会全体で高齢者を世話する福祉も整備されつつある。そして不妊は女性男性どちらにも原因があることが明らかになった。
家の跡継ぎを巡る環境はおおいに変わったのだ。

そろそろ家の継承を期待されてきた「子(大抵は長男だろうか)」「養子」そして「嫁」たちは、子孫を残すという重圧から解放されていいのではないだろうか。
子どもに恵まれない理由あるいはあえて持とうとしない理由は様々で、その全てを解決することは出来ない。また端的にいってしまうと、長期的にほとんどの家は絶える運命にあるのだから、いつかはそれを受け入れなければならない。

家名を存続させるために、命を落としたり産後の健康を害す危険もある高齢出産を選択させる社会が素晴らしいとはとても思えない。

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日本の人口減少 嘆くより受け入れよう

■日本の人口減少のペースが年間10万人突破したというけれど…

12月31日厚生労働省の発表によると、日本在住の日本人の人口の減少は、平成22年の一年間で12万3千人になるという。(平成22年(2010)人口動態統計の年間推計http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suikei10/index.html
少子化の進行で日本の総人口が減少したうえ増えるのは後期高齢者ばかりと来れば、社会が悪い傾向にあると一般的に受け止められる。
確かに少子化の原因の一端は、子育てのしにくい窮屈な社会にあるだろう。また高齢者層は医療・介護などの費用・手間が飛び抜けて掛かり、高齢者の割合の増加はそのまま社会の負担増となる。
しかし年間出生数を現状より何十万人も増やしてまで1億2千万人以上の日本の人口規模を維持し続けるべきとは思えない。人口が増えたら増えたでまた別の問題が生じるであろうし、若者の人口が増えれば必ず高齢者の支えとして役立ってくれるとも限らない。

■今までの日本の人口構成が歪んでいた

日本の人口を年齢別に見ると、第一次ベビーブーム(昭和22~24年)と第二次ベビーブーム(昭和46~49年)の時期に文字通り一過性である出生数の急激な増加があった。
ベビーブームは学校教育に代表される行政サービスの提供に、「むら」が出来てしまう。恐らく今後の第一次ベビーブーム世代が後期高齢者の年齢に達して以降、今度は介護サービスを巡って「不足や余剰」が発生する可能性がある。
逆に最近20年の日本の出生数は漸減傾向とはいえ、122万人から106万人程度と安定的に推移している。
高齢者の割合が増加するのを恐れて政府が急激な出生数増加を図るのは、そのタイミングで生まれてくる子どもたちにベビーブームゆえの苦労を強いることになる。三度人口の年齢構成を歪ませることは止めたほうがいいのではないか。

■労働力の供給が減っているのに、失業率が下がらない

少子化が進み労働力人口も1998年の約6800万人弱をピークに減少へ転じている。では少子化のせいで労働力の供給が逼迫し、失業率が改善しているかといえば全くそうではない。相変わらず職を求める失業者が2、3百万人も存在し、政府は国民の雇用確保に苦心している。
端的にいって「頭数」は余っているくらいなのだ。

また90年代以降日本人はキツイ・汚い・危険のいわゆる「3K」といわれてきた不人気な仕事を避けるようになり、代わりとして外国人にやらせるようになった。
失業しているにもかかわらず仕事を選り好みし続けるならば、単に日本人の出生数を増やしたところで何ら少子高齢化社会の問題解決に結びつかないではないか。

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温暖化ガス国内排出量取引制度の問題点

■日本国内の個々の企業に排出枠を義務付けることは成長する事業を阻害する

12月28日政府は地球温暖化対策の主要3施策に関する基本方針を決めた。3施策とは環境税、再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度そして国内排出量取引制度であるが、そのうち排出量取引については先送りという判断になった。

排出量取引はその前提となる企業の排出枠をどのような基準で決めるのが最適なのか未だ明確でない。温暖化ガスの抑制には排出量取引制度を設計し実施するより、石油石炭など化石資源にかける環境税をさらに重い課税とすべきではないだろうか。その方が単純明快な制度で済みそうだ。

排出量取引は予め企業に温暖化ガスの排出枠を決めて、枠を超えた分は他の企業から余った分を購入するという仕組みだ。賛成する立場からの意見としては排出量取引制度は排出枠を設定した時点で将来の温暖化ガスの削減量がより確実に見込めるようなる、そして温暖化ガスの削減が容易な企業をさらに後押しするので社会全体の削減コストは少ないというメリットを上げる。

しかし実際には制度の前提である排出枠を公平に決定するのが不可能と言っていいのではないか。
社会には無数の種類の商売が存在するが、その種類別に排出枠を検討し社会的合意を得る(政府が義務付ける)のは難しい。
同業だとしても大企業もあれば、中小企業もある。たくさんの小さい企業が排出枠を割り当てた上、制度を守っているか監視するのは手間が掛かるだろう。結局零細企業(そして家計)は排出量取引に参加させることが出来そうに無い。

そして個々の企業に温暖化ガスの排出枠を設けるという考えには、企業の成長や衰退という「生態」を無視している。
消費者に支持され成長していく企業に温暖化ガスの排出枠をはめてしまうのは社会の進化を妨げている側面がある。
逆に衰退していく企業にすれば一旦認められた排出枠は社会にとって望ましくない既得権益になる。繁盛している商売からお客がいなくなった商売へお金が流れていくことも発生するのである。

温暖化ガスを排出削減する行動は、石油石炭税増税とその他の税の減税のセットで引き起こすことが出来る。それは個人や零細企業など小さな経済主体にも効果がある。他方排出権取引の方は複雑で不公平感が拭えず、まるでCO2削減の話しが一向にまとまらない「世界の縮図」のように見えてならない。

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民主党政権15ヶ月の成果

■税金のムダづかいの根絶、「子ども手当」、「消えた年金」の解決…期待はずれの連続だった

民主党の岡田克也幹事長がブログで『民主党政権15ヶ月の成果-報道されない実績を見てほしい』と題した記事で小沢一郎氏の国会招致問題ばかりが報道されることが残念と言っている。(岡田幹事長の指摘する民主党政権15ヶ月の成果http://www.katsuya.net/upload/pdf/seika15months.pdf

確かにマスコミ報道は小沢一郎氏の動向に偏った感がある。しかし民主党は総選挙に際し「マニフェスト」なるものを掲げ様々な改善案を羅列したものの、大部分は成果と呼べるどころか有権者が期待を裏切られたと感じるような結果しか残していないのではないだろうか。

マニフェストの中の主な公約の中では、高校授業料の無償化だけが公約の額面どおり実行に移されたとしか言えないだろう。しかしこれさえも国債発行を元手に始めたようなもので、長期的に継続できるかは怪しいところだ。

目玉の公約である子ども手当は、総選挙で約束した月額2万6千円には遠く及ばないままである。
以前から民主党が主張してきた高速道路原則無料化も無料化実施はごく一部の道路に限られ、とても「原則」とは言えない状況だ。
ガソリン税などの自動車関連の暫定税率の撤廃に至っては、公約が完全に反故にされた。

自民党が国民から愛想をつかされ、政権を追われた原因とも言える「消えた年金」問題も解決スピードは上がっているようには見えない。

事業仕分けに象徴される税金のムダづかいの検証は政権交代ならではの期待できる分野ではあるが、いまのところ民主党の様々な公約を実現できるほどの財源の捻出するまでには至っていない。
『国の総予算207兆円を徹底的に効率化。ムダづかい、不要不急な事業を根絶する』と民主党は総選挙のマニフェストで約束した。そこでぶち上げた節約額は9.1兆円。対して岡田幹事長がブログで認めた節約額は行政刷新会議の設置、事業仕分けで『歳出減・歳入増により2010 年度予算では3.3 兆円の反映』にしかならなかった。

このままなら民主党政権はこれ以上の成果を残すどころか早晩財政的な行き詰まりを迎え、首が回らなくなるに違いない。
それとも有権者に見限られるのが先になるだろうか。

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名護市長米軍基地は拒否、米軍再編交付金は求める

■米軍再編交付金制度は受け入れ表明が前提

24日、政府は米軍基地移設が計画されていた沖縄・名護市への米軍再編交付金を交付しないことを決定し、同市に伝えた。
稲嶺進・名護市長は10年度までに予定されていた環境アセスメントの実施段階で許されている事業の分は交付金を申請し、受領する積もりだったようだ。

しかし米軍再編推進法(駐留軍等再編円滑実施特別措置法)は、交付金を(1)再編計画受け入れ表明(2)環境アセスメントの着手(3)工事開始(4)工事完了・運用開始の順を追って交付するものである。
法の目的から考えても、法の手続きを見ても地元自治体の受け入れの意思が必要である。
稲嶺市長の基地移設には反対意思を表明しておきながら、米軍再編交付金は要求すると言うのは虫が良すぎる。
移転の中止にもかかわらずそれまでの地元のための事業に掛かった費用を交付金で賄うのが許されるのは、専ら政府の見込み違いによる中止判断のときだけであろう。

米軍再編交付金はあくまでも、今後米軍基地の引受け先になるところに使われるべき費用である。移転先が見つからなければどこにも出す必要は無い。
そして現状のままなら、既に軍関連施設の周囲で生活に支障を来たしている自治体などに税金は厚く投じられるべきだ。その受け取り先は決して名護市ではないはずだ。

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