野田聖子代議士の家族観

6日、野田聖子代議士が50歳にして出産をした。
結果的には母子ともに健康であり、お目出度いことに違いない。しかし50歳近くになって、しかもわざわざアメリカへ出向き他人の卵子を得て体外受精をしてまで子どもを求めた野田聖子氏の気持ちはどんなものであったのだろうか。

野田氏にとって出産とは、単に自分の子どもを授かるという以上に野田家の跡継ぎを作る義務と言ったところだろう。何しろ彼女自身が野田家への養女として迎えられ野田家を継ぐことを期待された身分である。
野田氏の持つ家族観には、決して家は絶やしてはならないという強迫に近い思いがありそうだ。

かつての日本(おそらく外国も事情はそう変わらないと思うが)は家と職業が一体となっていて、また社会福祉なども無きに等しく、家族同士で支えあった。つまり運命は家族にかかっていたと言える。跡継ぎがいないというのは、家族が生活していくのに現代社会とは比較にならない大問題であっただろう。
そして子どもが出来ない場合、嫁の責任とされその女性は惨めな思いをさせれたに違いない。
しかし現代は職業の大部分が「サラリーマン」の身分のものとなり、多くの場合家庭と仕事は分離された。社会全体で高齢者を世話する福祉も整備されつつある。そして不妊は女性男性どちらにも原因があることが明らかになった。
家の跡継ぎを巡る環境はおおいに変わったのだ。

そろそろ家の継承を期待されてきた「子(大抵は長男だろうか)」「養子」そして「嫁」たちは、子孫を残すという重圧から解放されていいのではないだろうか。
子どもに恵まれない理由あるいはあえて持とうとしない理由は様々で、その全てを解決することは出来ない。また端的にいってしまうと、長期的にほとんどの家は絶える運命にあるのだから、いつかはそれを受け入れなければならない。

家名を存続させるために、命を落としたり産後の健康を害す危険もある高齢出産を選択させる社会が素晴らしいとはとても思えない。

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