「お金は使っても、消えない」のか

ここで再び三橋貴明氏のお気楽な?主張、日経ビジネスオンラインの連載「暴論?あえて問う!国債増発こそ日本を救う」を批判したい。今度は8/24号についてだ。

彼は、原則として「お金は使っても、消えない」という。買い物を例えにして自分の財布から商店のレジにお金が「移った」だけの話だと表現する。
高齢者が貯蓄を取り崩し支出しても、企業の資産に計上されるだけで、
家計の銀行口座から一般企業の銀行口座にお金が移るのみであり、どちらにせよ銀行は国債を購入し続ける。
だから、どんどん消費すべきと言いたいらしい。

しかし、消費活動は、国内だけでお金とモノ・サービスの流れが完結している訳ではない。普段の生活を考えてみても、多くの食料、エネルギーから日用雑貨、衣料、そして一部の電気製品まで様々なモノが輸入品で占められている。
だから、消費のために支出したお金の一部は必ず海外に流出してしまう。全てが国債の買い支えに戻るわけではない。
確かにお金は消えずに何処かのレジに収まっている。ただお金を使おうとする側ばかり多くて、モノ・サービスを提供する側が弱小なら、お金の価値は無くなるのが必然なのだ。

また彼は規制緩和、官業の民営化、生産性の向上、政府のムダの削減、増税による財政健全化などに取り組むのは全て間違っていると言う。それらはインフレのときに実行すべきでデフレ状態の今は違うという。

しかしインフレかデフレかに係わらず社会の変化に応じて規制は見直されるべきである。政府のムダも放置せず、新しく必要になった施策に厚く振り向けられるべきだ。生産性の向上(官業の民営化も生産性の向上の一種)もまた財源を別の用途に当てるための有効な手段である。

もしデフレが引き続き進行中でも、国債の借り換えに支障が出そうなら増税もやむなしだ。債務不履行による混乱よりはずっとマシだろう。

日本も世界経済と無縁ではなく生き残るためには生産性の向上が不可欠である。
そして日本を含めた世界の市場でモノやサービスを提供した見返りの分しか、消費はできないはずだ。

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スポーツ立国戦略

■スポーツ立国戦略で国が繁栄するわけない
文部科学省がスポーツ立国戦略と大げさに銘打った政策を打ち出した。
五輪メダルの過去最多獲得やスポーツ人口の拡大を目指している。スポーツ庁なる役所も新設したいらしい。

立国といってもプロスポーツの市場は狭い。何といっても人気商売だし、尋常でない強いと認められてしか選手になれないのだからスポーツ人口を拡大したところで、ほとんどの人はプロとして生活をたてることはありえない。
また選手の多くが故障を抱えながら競技生活を送る。そして比較的短命で死を迎えるようだ。スポーツは健康維持に不要どころか危険でさえある。スポーツとはそんなものだ。

個々の選手が努力するのは当然だとしても、国を挙げてメダル獲得数に目標を立てるなどやりすぎではないだろうか。他に政府しか出来ない、あるいは政府が取り組まなければならない仕事が幾らでもありそうなものだ。
また何も自分と同じ出身地の選手をどうしても応援しなければならない訳でもない。よその地域の選手が好きで夢中になってもそれはそれで結構なことだ。

そもそもスポーツをする場所や時間そして競技する相手を確保すること自体難しい。政府が資金を投じたところで全て解決とはいかないだろう。

ともあれ国民全体に対し政府がスポーツを奨励するのは頂けない。

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日本の消費生活の地球環境への負担

■世界の人々が日本人と同じ消費をしたら2.3個分の地球が必要(WWF)
25日世界自然保護基金(WWF)ジャパンは日本の消費生活の地球環境への負担についてのレポートを発表した。(「エコロジカル・フットプリント」http://www.wwf.or.jp/activities/lib/lpr/WWF_EFJ_2009j.pdf

日本人の消費生活水準では地球環境への負荷が高すぎるのはもちろんのこと、すでに世界平均の生活水準でも地球の許容範囲を超えているという。
何と日本人よりずっとエネルギー消費が少ないであろう中国人程度の消費でないと地球は負荷に耐えられないという。

レポートの分析を信じれば絶望的になる。中国そしてインドが現状の消費生活のままでいるはずない。現在の10倍とまでは言わないまでも、2倍3倍ぐらいは贅沢したいと願うのは当然だし、多分20年以内に実現するであろう。

レポートには世界中の人が現在の中国人程度の生活水準にするための具体的な策は見当たらない。
日本についても残飯が多すぎると言う程度の指摘しかない。

レポートに人口政策について端的な主張は無い。
しかし抑制の先を行く人口減少政策を取る必要があると思う。

日本での出生率を上げる取り組みや景気対策というものも、所詮地球環境の観点からは害でしかないに違いない。

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マスコミの円高騒ぎ

■マスコミの騒ぎの中に妙案なし
ここ最近のドル円相場が円高に振れ、連日マスコミは為替に言及している。
意地悪く言わせて貰うとマスコミは大騒ぎして売らんかなの体質だから多少は仕方ないにしても、円相場はどの水準が適正範囲や望ましい操作手段についてはそれほど盛んに論じないのはどういうことだろうか。

自国の通貨が高くなること自体は、経常収支が黒字ということそして何より通貨への信頼の証である。喜んでもいいことである。

また、実力以上に円が高くなっていると確信を持っているなら、相対的に安くなっている外貨を購入すれば遅かれ早かれ来る調整局面で大儲けできる。
政府・日銀がそれをしないのは、今回の円高は過大評価ではないと内心思っているからに違いない。
円高傾向が理に適った状態なら、外貨を買っても後で損することになる。

円高を恐れる気持ちもわかる。日本を貧乏から救ったのは農林水産業でも教育でも霞ヶ関でも政党でもない。輸出産業が外貨を稼ぎ、豊かになったのだ。政界もマスコミも円高に対して反射的に拒絶反応するのは、口にせずともホンネでは輸出産業が日本の命運を握ってきたと認識しているからだ。

政府の「口先介入」や日銀の政策では所詮持続的効果を期待できない。
直接為替相場を誘導しようとするより貿易立国そして投資立国としてどう対策を打っていくべきか議論されるべきである。

もっと端的に言えば、外国に門戸を開き輸入を盛んにして国際的に弱い産業は絶えてもらうことが必要だ

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少人数学級の実現は必要か

■一律に少人数学級を実現しても見返りは乏しい
現在公立小中学校の1学級の上限は40人と法律で決まっている。文部科学省は、それを30~35人へ引き下げることを目指しているそうだ。そのため教員を2万人増やし1200億円人件費が掛かるという。

基本的には小中学校の授業の多くは、教師の話を黙って聞きながら板書しているだけだ。1学級の人数を25%減らしたところで、もともと授業時間内に上の空でいる児童に対しては有効なのか疑問である。

学校教育に関連して「七五三」と呼ばれる数字がある。小学校で7割の児童は授業についていけるが、中学だと5割にとどまり、高校になると3割の生徒しか理解できていないという実態を表している。ここまでついていけない割合が多いと教員の人数の問題というより、授業量や内容を問題にすべきだと思う。

勉強の出来ない子たちに分からせたからといって、いい進学先や就職先が増えるわけではない。習熟が遅ければ理解したところでデキる子と能力が同じという自信にはつながらないだろう。そして覚えたことも忘れてしまえば元の木阿弥である。
人やカネをかけて勉強の出来ない子の面倒をみるより、いっそのこと出来ない子には易しい授業で済ましたり、授業を減らして卒業証書をやっていいのではないだろうか。

知識の詰め込みはデキる子、したい子だけが取り組めばいい。これまでどおり十分社会は機能する。

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株価維持政策

■政府による株価下支えは余計なお世話
金融庁が証券優遇税制を延長するよう政府に要望するという。株安への懸念、株価を下支えする必要があると判断したと毎日新聞が伝えている。

株が安くなれば、買いたい人が現われる。また資金が潤沢な企業の場合、自社の株が割安だと思うなら自ら買い集めてもいいはずだ。

株安で困るのは、比較的株価の高かった時期に購入してしまったり売りそびれた投資家である。どうして彼らの投資の失敗を政府が未然に防ぐような真似をしなければならないのか。

株価を決定するのは、つまるところ投資家の間の人気だ。企業は投資家から逃げられないよう振る舞い、投資家は投資が無になる危険を負って儲ける機会を窺う。そして投資家にとって株価の変動は大きいほど短期間に儲けを出せる意味を持っているのだ。強欲な一面も持つ投資家など放っておけばよい。

国内にお金はたくさんあるが、企業の投資は低迷していて資金需要はあまりない。現在政府が国民にことさら株式購入を誘導する必要もないだろう。
もし企業活動がそれほどでもないのに、株式市場に資金が殺到したらそれは「バブル」である。その数年後には必ず惨憺たる結果が訪れる。

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司法修習生制度の廃止

■法科大学院で一定の知識を習得したら弁護士資格を付与すべき
先日海上保安庁のヘリが墜落し、乗員5人が死亡した。司法修習生にデモンストレーション飛行を見せる合間の事故だったという。司法修習生の社会見学については数年前に電車の運転をさせていたことがニュースになったこともある。
そもそも○○体験のたぐいは、司法修習生としてあまり必要とは言えないのではないだろうか。

伝聞だけでは理解し難いことをいろいろ見たり体験したりして、より現実を理解した裁判を実現する狙いがあるのかもしれない。

全くのムダとは言い切れない。しかし裁判は余りにも多種多様だろうから、取り合えず何かについて社会見学させておくというのは効率の悪い体験学習だと思う。また個々の弁護士の卵からすれば見せつけられたものに興味が沸かなければ注意深く観察はできまい。それは学習全般に言えることだ。

法律家が必要を感じながら見聞を広めていく方法が裁判に活きてくる可能性が高いと思う。また、一人ひとりの法律家の知りたい分野は国が司法修習生に提供してきた体験機会より多岐に渡るだろう。

せっかく法科大学院という2、3年かけて法曹を養成する為の学校制度を導入したのだから、そこで法にまつわる勉強は済むようにすべきだ。あとは試験をして合格したなら即法律家の資格を認めたらいい。

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高校無償化は学校関係者のための補助金に化ける

今年度から高校授業料無償化が始まった。公立高校の授業料は文字通り無料、私立高校には公立高校の生徒の負担減少分に相当する額が私立高校に直接払われ、その分授業料が値下げされるという仕組みだ。

制度を導入した瞬間は高校生のいる家庭の負担減が狙い通り実現するだろう。当初は注目されることもあって不正がやりにくい。
しかし、しばらくして授業内容や学校設備の更新そして教職員の給料の見直しを機に家庭の負担減分がウヤムヤにされてしまうのではないだろうか。

例えば無償化政策によって公立高校が一切授業料を家庭に請求しなくなっても、授業数を減らしたり内容を「安物」に変えてしまえば、それはもう無償化というより単なる劣化に過ぎない。
また私立高校が理事長以下すべての職員の給料を徐々に増やしていき、再び授業料を値上げすれば家庭の取り分だったはずのお金は学校関係者の懐に入ることになる。
当初の目的どおり家庭の負担のみ減らすことを、今後どうやって保証するのだろうか。

現在朝鮮学校を無償化の対象にするかどうか揉めている。北朝鮮の体制を賛美している内容が問題視されたり、お金が北朝鮮政府に流れている疑いも晴れない。
確かに朝鮮学校の授業内容も会計も問題にすべきだと思うが、他の学校もその点は同様に厳しく問われるべきである。税金が流れ込む団体はすべて、会計を明白にするべきだ。あるいは政府の支配が及ばなければならない。でなければ遅かれ早かれ腐敗していくだろう。

公の支配に属しない団体を経由させて家庭の金銭的負担緩和をねらうより、子ども手当のように直接家庭に給付する方が学校関係者に横取りされる危険が無くていい。

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国債で既存企業保護は時代に逆らう

バブル崩壊後、政府は累計約500兆円に上る国債を発行してきた。景気を下支えするためにである。
三橋貴明氏は日経ビジネスオンライン(8/17)でバブル崩壊後政府が負債、支出を拡大しなかった場合、日本のGDPは毎年10兆円を越えるペースで減少していった可能性が高く、我々の所得が毎年激減していったはずと主張している。

国債発行で民間の投資減少の補填をして経済危機を凌ぐという考えは三橋貴明氏に限らずたくさんの支持者がいるだろう。そして公共事業を請け負ったりした関係者は救われたり儲けたりしたに違いない。

しかしバブル崩壊後、需要の減った事業を救わずに給料激減や企業の再編そして労働力の移動・解雇を断行していれば、国民の生活は急激に苦しくなっただろうけれど既存企業が時代とともに変質したり新しい産業が芽生えたりしたのではないだろうか。国債を発行しての政治家主導(支持母体への利益誘導)の投資は今までの商売を延命させた代わりに、未来の革新的な企業の芽をいくらか摘んでしまったと思う。

例えば銀行業界。バブル崩壊後国が超低金利政策によって保護してきた業界だ。保護のおかげで相変わらず大きな業界のままだが、カネの貸し出し先は少ないまま預金は大部分国債購入に向けられているようだ。
国による保護と引き換えに、事業の縮小を強いていればもっと資源が有効な事業に向かったのではないだろうか。国民は近くにたくさんあった銀行の支店が、遠くて不便なところに少しあるだけの存在となることを受け入べきだったと思う。

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国立大学交付金を全廃して奨学金給付に替えたら効率的

文部科学省は2011年度の概算要求で、国立大学法人への交付金と私学助成金の増額を要求すると言う。
共同通信の報道では、政府が閣議決定した新成長戦略や民主党マニフェストに、国際社会に通用する人材の育成が盛り込まれたことを同省が重視、大学側の強い要望も踏まえ「大学教育は人材養成の基盤。十分な運営費の確保が不可欠」(同省幹部)という判断を伝えている。

人材養成とは別に大学中心である必要はない。そもそも学問の全てが学生の今後の生活や仕事に役に立つ訳でないだろう。また大学の研究者たちには、学生の将来に対し役に立つ気持ちがあるのか大いに疑問が残るところだ。彼らのホンネは自身の研究成果を上げることや好奇心を満たすことで、学生の面倒を見るのは嫌々と言うこともあるに違いない。
運営費については大学教育に限らず、どんなサービス業でも不十分でいいはずはない。
よって同省幹部のいう理由では、税金を当てる根拠に乏しいと思う。

税金を大学関係者の欲得から守るためには国公立私立を問わず大学に直接お金を渡すのを一切廃止して、勉強の出来る高校生に直接奨学金を給付した方がよいのではないだろうか。
大学の財源そして存続を、その入学希望者や利用者が左右するように変更するのだ。

当然高校生は自分の利益に適う進学先を望む。世間の支持の厚い大学は繁栄し、逆に要望に応えられない大学は倒産・消滅する。
国公立への交付金を全廃すれば、私立との授業料格差も縮まり大学間で公平な競争環境になる。

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