震災のよる子供の死をお金で埋め合わせるべきか

読売新聞によると、文部科学省が東日本大震災で学校から避難中に死亡・行方不明になった子供たちに「災害共済給付制度」の例外的な適用を検討しているという。宮城県からの要望があるとのこと。(学校震災死の児童・生徒、給付金支給の可否検討http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110424-00000032-yom-pol
記事では、災害共済制度は風水害や震災は給付を行わないと定めており適用外が原則とある。その一方、この制度により過去遠足中津波で巻き込まれた事例に対し1200万円が支給されたことも紹介されている。
このように子供の死に対し学校の過失を問わず1千万円を超えるような高額のお金を払う制度や要望には強い違和感を感じる。

■大震災で死んだからと言う理由だけで大金を払う義務はない
第一に子供の死は、お金を貰えば納得できるのか大いに疑問だ。同制度では学校での事故死へ2800万円支給するようだが、お金さえ受け取れば家族の気持ちに整理がつくとはとても思えない。もし大金のみが目的の親族ならそれこそ子供とは「出しに使う」存在以下なのだろう。
災害共済制度の利点として、責任の所在が明らかになる前に迅速な手当ができる事が上げられる。また加害者や責任者を特定できなくても子供の傷病を補償する役割も非常に有難い。
しかし死んでしまっては、最早その子供に養育費をかけることも無い。また学校や行政に責任を問いたい場合なら、お金だけ貰って過失の有無を不問にされたら堪らない。
それとも2800万円で弁護士を雇い、裁判をする権利を実質的に保障するということなのだろうか。
また「命の価値」は大震災で失ったかどうかで左右されないはずだ。

■払いたい人が払えばいいし、過失のある人がいるなら償うべきだ
保険制度というものは、事前に決めた保険金支払いの決まりを反故にすると正直に掛け金を払ってきただけの人が馬鹿を見ることになる。保険対象外の事故が生じた後にそれを例外的に適用と認めよとは甘い。

もし宮城県の総意として学校から避難出来ず死んだ子供の遺族にお金を送りたいなら、宮崎県自身がお金を用意すべきである。仮に国(共済)から貰える場合に限って遺族は補償されるというなら無責任極まりない姿勢だ。

なお学校や行政に過失が認められるなら、遺族の望むことは「お金」ではなく「責任者が罰を受ける」ことではないだろうか。

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