福島第一原子力発電所の放射能汚染事故について、東京電力が免責されるべきかどうかで賛否が分かれている。
積極的な原子力推進政策を国は進めていたことそして被害が東電一社では補償不可能な位に拡大したことから、最終的には国が被害の救済漏れの無いよう責任を持つのは仕方の無い。
しかしこの度の大地震を原子力損害賠償法の「異常に巨大な天災地変」と認定するだけで東電に責任は無いとするのは、いい加減過ぎる判断ではないか。
■最悪、司法の場にもつれ込んでも事故の経緯や関係者の主張を明らかにして欲しい
まず前までの原子力発電所の地震・津波対策の決定過程と、福島第一原発が津波に襲われた後の東京電力の対処について詳らかな事実が公開・検証されるべきである。
未だに福島第一原発の事故は「進行中」であり、現在もなお原発関係者たちは原子炉の冷却と放射能汚染の収束にあたっている。よって今は関係者自身から詳細を聞きだすに適切な時期ではない。
また放射能汚染事故の被害者の生活を守るのに悠長なことはしていられないので、取り合えず国がお金を給付するのは良い。ただしそれはあくまでも「仮払い」だ。
やがて福島第一原発の放射能を安定的に封じ込める状態が達成されたなら、事故現場の職員を巻き込んで徹底的に放射能汚染の責任を追求してもらいたい。
政治の場で詳細が明らかになり総括できれば、それが早くて良い。しかし東電の側で主張が十分に出来なかったり国の出した結論に不満が残ったなら、裁判で争うのも東電の利害関係者の正当な権利だ。
いずれにせよ東電と国双方の忌憚の無い主張が国民の目に晒されてこそ、原子力政策を巡る制度の欠陥が明らかになる。
■東京電力が倒産したら一時国有化で凌ぐ
28日、東京電力の清水正孝社長が(免責という)「理解もあり得ると考えている」と遠回しだが福島第一原発事故の賠償から逃れる可能性について言及した。
東電に厳しい世論が吹き荒れている現状で敢えて責任逃れと取られかねない発言をする背景の一つは、電力供給を担う東電という存在を倒産させる事は出来まいと考えているからではないか。
しかし仮に課された賠償金が工面できず東電が倒産するはめになったら、代わりに被害者の救済にあたる国が東電を所有することも(立法が必要かもしれないが)許されるはずだ。そうして東電(株主)に責任を負わせても良い。
東京電力の利害関係者は余りにも多く、金銭的な面では東電が賠償しようが国が賠償しようが日本全体で見るとそれほど違いは大きくないのかもしれない。
ただし、依然日本に残されている約50基の原発の安全確保のため、そして福島第一原発の事故のため突然故郷を追われることになった周辺住民の気持ちの整理のためにも妥協の無い責任追及が必要だ。
中野先生の電力の送配電分離議論は論外の記事を読みましたが、エネルギー庁勤務時代の電力業界との議論のなかで電力業界の理論武装を評価する記述がありました。電力業界は民間企業と言えど地域独占でその売価も費用に適正利益を上乗せして決められます。いわゆる企業努力なしに利益をあげられ社員は公務員並みです。
費用の実情は政界への献金や原子力村の教授たちへの金銭的支援、一般企業以上の給与、恵まれた企業年金、電力安定供給に関係ない傘下の企業群を抱え天下り先を確保し電気代で支えています。送配電分離が困難ならこれらにメスをいれ消費者に安く電気を供給すべきと考えます。
電力業界の内部事情に詳しいのであれば、これらの費用にメスを入れた論文を発表して欲しい。