ズレている川下り船への責任追求

17日に浜松市で起きた天竜川川下り船転覆事故を巡って、運営会社に対する様々な疑問が上がっている。救命胴衣の着用の不徹底、船頭の操船経験の短さ、マニュアルの不備など。しかし安全性を追求するそれらの批判は、危険性と裏腹のスリルが売りの川下り船の性格を無視した空論ではないか。

■粗末な船だからこそスリルが楽しめる
おそらく安全性を追求した船では水面の様子も身近に感じられず、急流にも全く動じない航行なら川下りの魅力を大きく損なうに違いない。また水遊びに興じる時、「浮き」を使うかどうかは当事者の自由である。その点を国土交通省が新たに規制したり、地元警察が調べて罰するというのは余計なお節介だと思う。

■誰もが経験豊かな人を求めるけれど…
今回の転覆事故では、船頭の経験の浅さについても報道されている。船の運航に限らず、一般的に我々は自分の手に負えない仕事をなるべく経験を積んだ人に依頼したいと願うものだ。

しかし全員がその希望を叶えられるはずがない。経験とは未経験の人が仕事を重ねて獲得するに他ならないのだから、誰かしらが経験の少ないプロの相手になるのは必然である。多くの職業分野がそうだろう。それとも責任の重い仕事とされる職業は、経験を補う為にまるで宇宙飛行士の養成に匹敵するような長期間の訓練を先にすべきなのか。

■マニュアルの編集が瞬時に起こる混乱に役立つか
川下り船の運営会社には、転覆に対応する為のマニュアルを用意していなかったという。仮に転覆時の対処法を記した手引書を編集しておいても、瞬時にして二十数人もの乗客(しかもその殆どは初めての乗船だろう)を救う為の判断に有用になったかは大いに疑問だ。

マニュアルを踏み台にし実際の試行錯誤を重ねた上、体が覚えるまで練習しなければ、事前の想定は生かされまい。

■二歳児が溺死した責任の所在
この転覆によって、二歳の子供が命を落とした。もしかしたらこの子へ救命胴衣の着用で命は救えたかも知れない。あるいは川下り船の方針として幼児の乗船を始めから断っていれば確実だった。川下り船側には過失がある。

ただし個人の意思や命の保障を尊重するなら、急流下りという娯楽に二歳児を連れて行った家族も責められるべきではないだろうか。思うままにならない自然を相手にする観光業者に計画通りを求めても空しいだけだ。

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ズレている川下り船への責任追求 への27件のフィードバック

  1. 匿名 のコメント:

    驚きました。あなたは船会社の親戚ですか?スリルを求める客が悪いとしか聞こえません。乗船客の制限や出航の適否等を含め、客の命を守る責任が船会社にあるのは当たり前です。ズレているのはあなたのほうでは。

  2. リュウ・タカハシ のコメント:

    初めまして。
    ニュージーランドでシーカヤックガイドを10年つとめたあと、今はアドベンチャーツーリズム、特に危機管理研究を得意とするライターをやっております。

    拝読しましたが、
    「危険性と裏腹のスリルが売りの川下り船の性格を無視した空論ではないか」
    というそもそもの大前提が、残念ながら間違っていると感じました。

    スリルと危険性は裏腹ではありません。
    「スリル」というものは、安全性を確保した上で、ツアーの味付けとして「演出」するものです。

    この川下り業者の問題は、貴殿と同じ勘違いをしていた点だと思います。
    つまり、安全性を削ってスリルを提供していた(どうやらたの川下り業者も同様のようですが)。

    本来のアドベンチャーツーリズムの手法では、安全性を高めた上で、スリルを「風味」として加えるのです。
    よって貴稿の「■粗末な船だからこそスリルが楽しめる」の章は、申し訳ありませんが、まったくの的外れといわざるをえません。
    (ここに、アウトドアツアーの事故が減らない大きな原因があると考えております。)

    >それとも責任の重い仕事とされる職業は、経験を補う為にまるで宇宙飛行士の養成に匹敵するような長期間の訓練を先にすべきなのか。

    僕は少なくとも、そう考えております。
    ただし、「長期間」である必要はありません。
    時間ではなく、質です。

    本件に関しては、拙ブログに書きましたが、訓練云々以前にそもそも適性のない人事が問題だったと感じています。
    http://ryuslogbook.livedoor.biz/archives/51701257.html

    >マニュアルの編集が瞬時に起こる混乱に役立つか

    これは日本人にありがちな、「予防マニュアル」と「対処マニュアル」の混同です。
    詳しくは拙稿をご参照いただければと。
    http://e4.gofield.com/theme/archives/000419.php

    乱文失礼いたしました。

  3. eastseavillage のコメント:

    こんにちは。少し違和感があったのでコメントさせて頂きます。

    >ただし個人の意思や命の保障を尊重するなら、急流下りという娯楽に二歳児を連れて行った家族も責められるべきではないだろうか。思うままにならない自然を相手にする観光業者に計画通りを求めても空しいだけだ。

    十分に家族は自責の念にかられていると思いますが・・・。ここでいう他人様が「責める」という、具体的な何かが見えません。

    今回はどうかは別に、「自己責任」を問うとき、その自己責任を認識するだけの確かな情報が与えられていたのか、さらにその前提としてそんな社会共通認識があるのか、と思います。何もかも「他人様のせいだ」とする風潮は如何なものかと思いますし、危険を全くなくさなければ許さないでは何もできませんが、何もかも自己責任だ、そもそも危険なものだ、で片付けてしまう論も大変危険だと思います。
    連日川下りで怪我人や死者が出ており、それが周知の事実ならまだしも、一般人がその危険性を強く認識することは難しいと思います。「それも含めて自己責任だ」というのでは簡単過ぎます。プロと素人が同じであろうはずもありません。仮に未熟な船頭であろうとも。

  4. kdifnvmtec のコメント:

    >>急流下りという娯楽に二歳児を連れて行った家族も責められるべきではないだろうか

    業者が乗船を認めているのに被害者家族を責める必要があるのか理解できません。

  5. okky9999 のコメント:

    絶対の安全なんて存在しない。
    311以後、国民の共通認識ではないでしょうか

    絶対の安全がないのならば、常に何かが起こるかも
    という、危険を避けるための想像力が必要とされると思います。
    結局、乗る・乗らないを判断するのは自分自身なのです。
    責めるとか責められるとかではなく、避ける判断をすることもできた。
    と、自分は考えます。

  6. 佐藤健 のコメント:

    >リュウ・タカハシ様

    はじめまして、実際にガイドを務められてきた方からの書き込み恐縮です。長文のコメントとリバーガイドについてのブログ記事の紹介有難うございます。

    仰る通り、もっとマシな船頭を雇えなかったのかという非難は出来ると思います。初めから単なる「いい人」を雇えれば良しと川下り船の運営会社が考えていたなら困ったことです。

    ただし若くて強靭な精神の持ち主ならどんな土地どんな職場でも引っ張りダコですから、田舎の川下り船の船頭の需要を満たすのは、あまり期待できないのではないでしょうか。

    必ずしもスリルと危険性は裏腹とは限らないですね。安全性を確保した上で、スリルを演出できればそれに越したことはないです。それを実践してきた頼もしいアウトドアガイドの方も多いかもしれません。

    しかし自然環境が相手、一度に多数のお客の引率そしてリュウさんのあげる人事の現実などの要因が安全性の確保を阻みます。遊園地のジェットコースターのような安全性とスリルの両立は、望むべくもないと思います。

    「対処マニュアル」が必要というより、それを基に繰り返し現場で事故を再現して練習することこそ重視すべきだと思います。習慣にするかあるいは本当に辛い失敗するしか、いざというときの行動にはつながらない、人間ってそれ位混乱に弱いものではないですか。

    リュウさんは、もっともっと人も企業も向上出来るとお考えかと思います。私はそれほど(田舎の鉄道)会社には良い期待を抱いてません。利用しようとする客の方が用心したらいいと考えています。

  7. 佐藤健 のコメント:

    >eastseavillage様

    はじめまして、長文のコメント有難うございます。

    おそらく二歳児を連れて行った家族は自責の念にかられているでしょう。

    報道は主に川下り船の運航体制を追及していますが、私は幼児の死亡に限っては家族が幼児を連れていかなけば防止できたことだと単純に考えています。ヘルメットを被せ、ライフジャケットを着せ、ひっくり返っても沈まないゴムボートに乗せれば安全だったのでしょうか?二歳児ですよ!

    ここで「責められる」というのは単に「悪い」ということです。彼らを吊るし上げろとかそういうことではありません。

    私事で恐縮ですが、恥ずかしながら私自身仕事上お客の手前や同僚に対し失敗を重ね迷惑を掛けつつ生きてきました(今後についても自信が持てません)。職業にしているからといってプロに疑いない信頼を寄せる気にはとてもなりません。

    また相手(顧客)の要望に無理(危険)があっても、相手の気持ちを考えると無下に断る事が出来ない場合もあるでしょう。勿論始めから調子のいいことを言って、金儲けに走る輩もいます。

    見知らぬ商売相手から(タダで)与えられる情報に拠るのは余り感心しません。

  8. 佐藤健 のコメント:

    >kdifnvmtec様

    はじめまして、コメント有難うございます。

    業者も本当は、断りたかったかもしれませんよ。客商売ですし、乗客もお盆休みを利用してわざわざ遠方から来たりしますので無下に出来ません。

  9. 佐藤健 のコメント:

    >okky9999様

    はじめまして、コメント有難うございます。

    今思うと恥ずかしいのですが、私は東京電力に対し全面的な信頼を寄せてました。設備の故障でも、大地震でも放射性物質は絶対に漏らさないと。

    まさか事故直後に現場へ適合しない電源車を送り込むとは…ガックリです。

  10. 佐藤健 のコメント:

    >匿名様

    はじめまして、コメント有難うございます。

    二歳児を連れて急流下りを楽しむのは悪いと思います。
    ただ私の人格がズレていると言われれば、そうかも知れません。

  11. eastseavillage のコメント:

    >報道は主に川下り船の運航体制を追及していますが、私は幼児の死亡に限っては家族が幼児を連れていかなけば防止できたことだと単純に考えています。ヘルメットを被せ、ライフジャケットを着せ、ひっくり返っても沈まないゴムボートに乗せれば安全だったのでしょうか?二歳児ですよ!

    幼児に限らず、「乗らなければ死ななかった」と思います。二歳児が川下りに参加することには私も違和感を感じます。他の多くの方も同じような感覚でしょう。ただ、それが被害者遺族を責め立てろという発想には繋がりません。何を根拠に、何の為に? 無意味です。

    ですから、報道機関は被害者遺族を吊るし上げろと言っているようにしか聞こえません。具体的に何がどうであれば、あなたのいう「責められる」状態になったのかさっぱり分かりません。具体的に明示して頂きたいです。「悪いから悪いのだ」と単にあなたが言いたいだけなら、報道機関の何がズレていたのか分かりません。

    「企業など信用ならない、企業の出す情報などあてにならない」は、「戒め」の類としては理解しますが、ひろく「社会」を語る際には全く無力です。刹那的に絶望し、嘆き悲しむのは自由ですが、そこから現実社会は何も改善しません。

    思考停止の絶望を「自己責任」とは呼びません。

    >見知らぬ商売相手から(タダで)与えられる情報に拠るのは余り感心しません。

    極論です。そもそも情報とは、そういうものではないと思いますが・・・。偏狭にも、東電も、観光船会社も何もかも信用できないのだ、の先に何があるのですか? 

    >私事で恐縮ですが、恥ずかしながら私自身仕事上お客の手前や同僚に対し失敗を重ね迷惑を掛けつつ生きてきました(今後についても自信が持てません)。職業にしているからといってプロに疑いない信頼を寄せる気にはとてもなりません。

    失礼ですが、生ぬるい「プロ観」です。失敗自体に言っているのではありません。失敗に対する認識に、です。人間ですから、失敗があったとして、だからそんなものだ、信用できなくても仕方ないでは済みません。お金を貰う、生業にすることへの緊張感が感じられません。

    尚、「プロに疑いない信頼を寄せる」とは意味不明です。信頼に足るだけの情報を事前に被害者遺族が得られたのか?と問うている訳ですから。

  12. 佐藤健 のコメント:

    >eastseavillage様

    こんばんは、ご返答有難うございます。

    被害者遺族を責めても、事故のほとぼりが冷めれば幼児の死亡事故の数は恐らく元どおりになるでしょう。ならば再発防止という観点からは無意味です。他方事故を契機に、急流下りに年齢制限を法で強制すれば痛ましい子供の事故死を減らす事が出来ます。

    しかし今後の教訓の蓄積や法改正など社会の改善に繋がったからといって、レジャーで自分の子を失うことを受け入れる訳にも行きません。もちろん他人の子でも可哀相です。

    現実社会の改善に繋がらなくても、保護者たる親を責める・非難するのは可能です。(改善に結びつかない非難を執拗にしたところで他の有意義なことをするプラスにならないとお考えでしたら、その通りでしょう。公然と責めるかどうかは人の自由です。)

    eastseavillageさんのご指摘のように、私の職業観は生ぬるいです。ただその行き当たりばったりの姿勢というのは、多くの分野の実態ではないでしょうか。大抵は安全に関心を払うより、お客を獲得する営業活動に重点が置かれます。そして個々の労働者も未熟なまま現場に出ます。そして働きながら段々と、してはいけないことを覚えていきます。お客の方で危険を負担できるか判断しなければなりません。子供の死は、刑罰やカネで償ってもらっても埋め合わせ出来ません。

    今回の件では、集客に当たって終始トロトロした流れで風景を楽しんだりするなどと明示しただけで、スリルを感じるような難所については隠していたなら親は悪くないと思いますが、「売り」をアピールしないなんてことありますかね。

  13. eastseavillage のコメント:

    >現実社会の改善に繋がらなくても、保護者たる親を責める・非難するのは可能です。(改善に結びつかない非難を執拗にしたところで他の有意義なことをするプラスにならないとお考えでしたら、その通りでしょう。公然と責めるかどうかは人の自由です。)

    意味不明ですが、真意は見えました。語るに落ちるとはこのことです。私憤を紛らわせたいだけなら、ノートにそっと書き込んで燃やした方が健全だと思います。

    考え方の違いということなのでこれ以上は申しません。

    >大抵は安全に関心を払うより、お客を獲得する営業活動に重点が置かれます。そして個々の労働者も未熟なまま現場に出ます。そして働きながら段々と、してはいけないことを覚えていきます。お客の方で危険を負担できるか判断しなければなりません。子供の死は、刑罰やカネで償ってもらっても埋め合わせ出来ません。

    そういう実態もあるでしょう。ですが、「だからそれが何ですか?」としか言いようがありません。その上で、法令や商道徳や安全を満たすよう求められます。元来人間とは、元来企業とはそういうものだから仕方がないと居直るのは簡単なことです。
    「企業」というものに対し、猛烈な不信感を持ち、何もかも信用できない、何も変えることはできない、というスタンスはよく分かりました。その先が知りたかったのですが、残念です。あとは家に閉じこもり、何もしないことしかありません。

    >今回の件では、集客に当たって終始トロトロした流れで風景を楽しんだりするなどと明示しただけで、スリルを感じるような難所については隠していたなら親は悪くないと思いますが、「売り」をアピールしないなんてことありますかね?

    既に他の方からも指摘されていますが、難所を通り、スリルを味わうことをコントロールし、安全に運航するからサービスになるのですよ。逆にトロトロ行きますよと言えば、親は悪くない、となるのですか?不思議な発想です。川下りに何を期待するかは同じであろうにも関わらず・・・。
    相手は自然だから何が起きても仕方がないのだ、死んじゃうかもしれない、と刹那に自殺願望をもって船に乗る人はいません。「川下りでスリルを感じる」=「死んでしまうほど危険」という社会通念や事前情報があったんですか?と問うています。その上で、被害者遺族を責め立てることが「自由」かどうかお考えになった方がよいと思います。

  14. 佐藤健 のコメント:

    >eastseavillage様

    こんばんは、度々のご返答有難うございます。
    拙文に対しeastseavillageさんから重ねて意味不明と指摘されると、私の気持ちを整理して文章で伝える下手さに情けなくなります。

    さて、川下りに何を期待するかは様々だと思います。単に紅葉や珍しい地層などを鑑賞する「トロトロ」の航行もあるでしょうし、今回の事故のように敢えて渦流に船体を入れてスリルを味わうものもあります。

    「川下りでスリルを感じる」=「死んでしまうほど危険」という社会通念はあると思います。逆に言うと二歳児でもガイドに任せれば溺死の危険が激減、あるいは溺死しても家族はガイドへ委任したことによって後悔をせずに済むと考える人は少ないと思います。そして死んでしまうほどの危険があるから、今回の転覆した川下り船でさえ救命胴衣を用意していたのです。

    今回の事故が生じてしまったからといって、船頭の技量を上げたくてもすぐに向上する訳でもないでしょう。またどんなに研鑽しても、大雨などで地形(川底)が変化すれば、難所の特徴の把握もやり直しなんてこともあるかも知れません。誠実に働いても対策は後手になりがちです。

    業者の責務の遂行や国の監督も洗練されるに越したことはありません。しかし親が子供の力を勘案して危険を負担できないレジャーへの参加を自制する方がまず必要です。それは事故防止にとても有効・確実で、かつ業者の責務に比して決して軽くない「保護者の責務」であるはずです。

  15. eastseavillage のコメント:

    >さて、川下りに何を期待するかは様々だと思います。単に紅葉や珍しい地層などを鑑賞する「トロトロ」の航行もあるでしょうし、今回の事故のように敢えて渦流に船体を入れてスリルを味わうものもあります。

    分かっていないようですね。

    では、「トロトロ川下りで、見えない岩にぶつかり転覆、子供が死亡」したらどうするのでしょうか? またしたり顔で、「親の責任だ、吊るし上げろ」と言うのですか?・・・

    業者の言うことは何もかも信用ならない、客を騙してでも商売をするものだ。「トロトロ行くから、安全なんですよ」などという言葉を信じて乗った保護者の無責任さは吊るし上げるしかない。自然の中では何がおきてもおかしくない。確かに「リスクの程度」に差があるかもしれないが、同じ川を下るのだ、「トロトロ行きます」と言っただけで「安全だ」と思うのはおかしい。何があろうと子供の命を守る責務があるのだ。

    ・・・ということです。あなたが「悪くない」といったことでです。「トロトロ行くから安全だ」というのもこちらの期待、社会通念、所詮は勝手な思い込みなのです。

    無意味な揚げ足取りですが、あなたの言っていることは、この程度のことというです。

    >逆に言うと二歳児でもガイドに任せれば溺死の危険が激減、あるいは溺死しても家族はガイドへ委任したことによって後悔をせずに済むと考える人は少ないと思います。

    そういう「死ぬ・生きる」ということ自体が考えに上らないと思いますが・・・。社会通念があるというならライフジャケットも付けず乗っていた多くの日本人は自殺願望があるということです。

    >しかし親が子供の力を勘案して危険を負担できないレジャーへの参加を自制する方がまず必要です。それは事故防止にとても有効・確実で、かつ業者の責務に比して決して軽くない「保護者の責務」あるはずです。

    「二歳児を川下りに参加させることには違和感があり、多くの方がそう思うだろう」と既に書いています。

    あなたは「業者を批判するのはズレている。被害者遺族を吊るし上げろ」と暗に言うので、疑問を呈したのです。
    あなたが「保護者には子を守る責務がある」と声高に言わなくとも、皆分かっています。あなただけが分かっている、とでも思っているのでしょうか。

    考えもつかなったのは私も同じです。それをもってしても「社会通念がない、なかった」と言っているのです。後からよくよく考えてみれば分かっただけです。

    そういう自覚、謙虚さのない人間が、他人様を「吊るし上げる」ということを「自由」と表現することに違和感を感じずにはいられません。

  16. 佐藤健 のコメント:

    >eastseavillage様

    こんばんは、コメント有難うございます。
    勝手な思い込みと言われればそうですが続けます。

    救命胴衣を付かなかったのは、船頭も乗客も転覆の危険から目を逸らしていたのです。確率は極めて小さいが危険は存在しています。「乗客を守る責務」「子を守る責務」皆分かっていましたが、果たしませんでした。娯楽と引き換えにしました。よってどちらも責めを負います。

    私に謙虚さが欠けているというのは認めます。そのついでに失礼を申し上げれば、例え謙虚さであろうとeastseavillageさんの「後からよくよく考えてみれば分かっただけ」というのはいただけません。

    いい歳した大人なら船外機で進むことが出来る程度のサイズの舟を渦流に寄せることの危険性を連想して然るべきです。船頭・乗客ともに当初から危険性を共有してこそ、安全性を高めながら商売は成立します。

  17. eastseavillage のコメント:

    >救命胴衣を付かなかったのは、船頭も乗客も転覆の危険から目を逸らしていたのです。確率は極めて小さいが危険は存在しています。

    ならば、「トロトロは安全」とする根拠は何なんですか? 「勝手な思い込みと言われればそうですが」とは居直りですか?

    川から地層を見に行くことは十分に安全であるという論拠は何でしょうか? 崖が崩れる恐れもありますが。あなた御自身の発言です。「渦流」にやたら固執し、全ての危険はそこにしかないような認識ですが、何故でしょうか?

    あなたが居直るなら、私なりに考えてみますが、今回事故が起き危険性が顕在化したからそう思い込むのでしょう。結局、「顕在化した危険をあれこれ評論するだけ」であって、あなたが忌み嫌う業者や無責任と罵る被害者遺族と思考回路は同じです。

    「業者は信用ならない、自然相手は何があってもおかしくない、とにかく親は子を守る責務がある。後で賠償や罰を受けても遅い。」と言いつつ、「トロトロなら親は悪くない」とは完全に論理破たんしています。

    >「後からよくよく考えてみれば分かっただけ」というのはいただけません。

    あなたは、今回の事故が起きる前から危険性を認識し、指摘してきた、ということでしょうか? 事故により潜在的な危険性をはじめて認識したことを「いただけない」というのはその通りですし、私自身そう思います。

    しかし、しつこいですが、事故が顕在化し、私以上にリスクに敏感であろう御仁が「トロトロなら安全」とは理解不能です。

    尚、『いい歳した・・・』のくだりを誰も思い付かないとでも信じているなら、おめでたいですし、他人様を見くびり過ぎです。あなたのやってることは、せいぜい起きた事象の表層をなぞり、単に評論しているだけです。私にも、誰にでもできます。

    結局あなたは何が言いたいのでしょうか? 

    >船頭・乗客ともに当初から危険性を共有してこそ、安全性を高めながら商売は成立します。

    整理しますが、「業者など信用ならない、責めても無意味。自然相手なのだから危険に決まっている、死ぬほど危険な遊びという社会通念だってあるほどだ。被害者遺族を責め立てろ。」として、「ズレている川下り舟への責任追及」と非情な見解を示したかと思えば、「当初から危険性を共有してこそ・・・」とはどういうつもりなのでしょうか? 

    「当初から」と言うならば、何故あなた以外はその潜在的なリスクに気づくことができなかったのか、という考察のひとつもなく、無意味なスローガンを今更掲げられるのか、その気持ちがしれません。いよいよしつこいですが、被害者遺族を責め立てろとまで言うのなら、それなりの考察を示して頂きたいと思います。

  18. oldpar のコメント:

    昨今の救命胴衣論争を聞いて感じる事は安全至上主義というか、盲目的にこうすれば死なずにすんだという結果論をその他のことをまったく考慮せずにただ主張しているように思います。

    この川下りで過去どれほどの人が参加して、何人の人が死に何人の人が怪我をされたのでしょうか?その数字を見なければ「危険な」という形容詞を簡単に使うことは出来ません。
    同じ観光の移動手段として観光バスは過去どれほどの事故があったのでしょうか?なぜ観光バスにはシートベルトの義務化はないのでしょうか?
    観光ではないが通勤電車はどうなのでしょうか?乗車率300%とか400%とか、たとえば福知山線の事故も乗車率100%以下で全員シートベルトならどれほどの人が助かったでしょう?

    さらに救命胴衣は暑苦しいです。発砲スチロールを着る訳ですから暑いのは当たり前ですが、当然熱射病のリスクも高くなります。果たしてどちらのリスクが軽いのでしょうか?お年寄りの場合時間がたってから発症ということもあります。大事に至らなくっても、気分が悪くなるようなことはしょっちゅう起こるでしょう。

    いろいろ書きましたが、救命胴衣を主張する人達は山で事故が起こると山を舐めるなという人と同じで、実はただ主張だけしたい、他人を考えなしと決め付けたい人にみえます。
    実際、落石事故で死人が出たときに山を舐めるなというようなものです。普通の登山道で落石が直撃するような確率は横断歩道で轢かれる確率より低いです。しかも落石は当った人のせいじゃない。

    とにかく過剰な安全至上主義は暮らしを息苦しくするだけです。

  19. 佐藤健 のコメント:

    >eastseavillage様

    こんばんは、勝手な思い込みにお付き合い頂き有難うございます。続けます。

    全コースに渡って緩やかな流れを選択して速度を落し「トロトロ」行けるなら今回の事故の状況よりずっと安全です。

    レジャーボートが転覆したり、人だけが落ちたりする事故は後を絶ちません。原因は単にスピードを出しすぎてバランスを崩す、雲行きが怪しいのに折角の機会だからと無理しての出航、そして今回のように「渦流」にワザと入ったが制御出来なくなった等。川岸の崖崩れで舟の乗客が死亡したというのは聞いたことがありません。侵食は確実に進行しているので将来必ず死亡事故は起こりますが、さて今年か100年後か。その頻度は格段に少ないですし、自然に「挑戦的」な遊びでなないので同情できます。

    eastseavillageさんも含めて、いざ幼児を持つ親の立場になれば多くの人の場合、以前より慎重になると思いますけれど。普段は自分の子の体を過敏なくらい心配します。子を連れて多少の無理を押してまで遠出するのはせいぜい年一、二度の帰省ぐらいなものではないでしょうか。

    >尚、『いい歳した・・・』のくだりを誰も思い付かないとでも信じているなら、おめでたいですし、他人様を見くびり過ぎです。

    いえいえ、多くの人が思い付く社会通念として認められるだろういうことです。
    ※『危険性の共有』は間違いで『危険性があるとの認識の共有』でした。

  20. 佐藤健 のコメント:

    >oldpar様

    はじめまして、長文のコメント有難うございます。

    oldparさんの仰るとおり、安全至上主義は息苦しいです。
    また、数字を見て他の危険と比較すること(私は恥ずかしながら数字が苦手ですが)も大事だと思います。

    ただし実際に惨事が起こる可能性は低くとも、大人の遊びに幼児を付き合わせることは慎重になったほうがいいと思います。

    満員電車の件は、電鉄会社だけでは解決できそうにありませんがもうちょっと快適で安全になって欲しいものです。

  21. eastseavillage のコメント:

    >全コースに渡って緩やかな流れを選択して速度を落し「トロトロ」行けるなら今回の事故の状況よりずっと安全です。

    そういう、漠然とした雰囲気や根拠の無いイメージで他人様を断ずる点を謙虚のなさと表しています。
    http://www.47news.jp/CN/200608/CN2006081601000722.html
    「落石あったがけを実況見分 京都・保津川下りの事故で」
    100年後ではなく、これは5年前の事故です。別に「挑戦的」でなくても、落石はあります。聞いたことがないから安全だと思うのは、あなたの言うよう危険だと再認識しました。

    勘違いされては困りますが、私は「トロトロ行っても安全ではない」などと主張している訳ではありません。5年前の事故をもってしても、私は相対的に安全だと思います。事故は事故です。歴史と伝統のある保津川下りがなくなっては困ります。
    しかし、それは川下りも同じでしょう。先にも書いていますが、毎日事故が続発し、被害者が出ていることが周知の事実なら、分からなくもありませんが、そうではない状況下で「相対的に安全」と信じることは至って正常です。あなたが「聞いたことが無いから」と同じではありませんか。それを責め立てることを不適と言っているのです。
    そもそも、あなたが「ずっと安全」と思うのは、所詮あなたの主観であって、本当にそうなのですか? 保津川の落石事故をもってしても、「そんなの100年後だ」と言えるのでしょうか? 相対的にどちらが危険かは分かりますが、しかし「ここからは危険、ここからは安全」と「線を引く根拠」にはなり得ていないように思います。プレジャーボートのくだりは意味不明です。

    >自然に「挑戦的」な遊びでなないので同情できます。

    また新たな視点が出てきましたが、あなたは、本来プロでなくてはならない川下り船業者をも上回る危機予見能力を親はもち、親には子に対する無条件の、無限の責任があるような主張された訳です。にも関わらず、あっさりと「同情できる」となってしまう。
    「自然相手なのだから何が起きてもおかしくない」と、人間の作為を超越した範囲の責任をも親は負うべきと主張したにも関わらず、です。挑戦的でなくとも、落石もあるでしょうし、濁流に飲み込まれる可能性もあります。同じ川に入るのですから、それ自体が既に挑戦的なのです。それから、あなたは「業者のいうことなど信用ならない」と言っていたように思いますが、「トロトロ行きます」を信じることを構わないとする根拠はどこにあるのですか?

    「同情」という表現に至っては呆れて言葉がありません。あなたが同情できるかどうかだけが価値基準なら何も言い様がありません。そういう価値基準を否定するものではありませんが、ネットにアップするのではなく、ノートに書き記すことをお勧めします。

    >いざ幼児を持つ親の立場になれば多くの人の場合、以前より慎重になると思いますけれど。普段は自分の子の体を過敏なくらい心配します。

    ならばどうして、事故という不可抗力によりその大事な子供を失い、自らも被害者になった方の気持ちよりも己の「気分」だけで「責め立てろ」と発言されてしまうのか、その神経がしれません。自分の子供はかわいいが、他人の子供はかわいくない、どうでもよい、とおっしゃるならば分かりますが。親の責任は絶対的なものだというならば、易々と「同情できる」はずもありません。所詮、あなたにとっては他人の子供の命や他人の痛みなど自らの持論を展開するが為の手段に過ぎず、恐ろしささえ感じました。

  22. 佐藤健 のコメント:

    >eastseavillage様

    こんばんは、過去の崖崩れについてまで調べて下さったのですね。

    eastseavillageさんが調べて死亡事故が無いなら、死亡事故の有無についての私の記憶も正しかったのではないでしょうか。

    少なくとも過去数年、川辺の崖が崩れて見物客が死亡した事例は無く、川下り船から風景を楽しむこと自体は安全と言えます(死亡する確率が低い)。そして川下りのコース中に急流、岩石の多い所、渦流などの難所を加えたり、悪天候でも強行するなら危険と線を引くことが出来ます。

    『毎日事故が続発していなければ「相対的に安全」と信じること』とeastseavillageさんの考えが同じかどうかは分かりませんが、私はそう信じたりしませんし信じている人を至って正常だとは思いません。私なら数年に一度の死亡事故でも単に運が悪かったのか、避けられるものだったのか考えを張り巡らします。

    同じ川に入るにしても、入る場所や遊び方により「挑戦的」で危険を増す場合と、困難は避けて危険を抑える場合があると私は思います。川で遊ぶ事自体が挑戦的と捉えることも出来ますが、事例で大きな差があると思います。

    転覆しても急流や深い場所を耐えれられそうにない子供を同行させる場合、興味の川下りの対象がどんなコースかどうか確認すべきでしょう。業者がスタッフの腕前とかコース自体の魅力とかは大げさに大丈夫大丈夫とアピールする可能性は大いにあると思います。しかし漠然とコースの性格を聞かれて同一のコースについて「スリル」がある、あるいは「トロトロ」いくなどと正反対のことは言わないはずです。家族の趣向を隠しておけばウソのつきようがありませんから。

    滅多に無い崖崩れや業者による詐欺的なコース案内(これも滅多にない)に遭って死亡することになったら、その家族には同情します。今までにない崩落による死亡とは運が悪かったということです。

  23. eastseavillage のコメント:

    >こんばんは、過去の崖崩れについてまで調べて下さったのですね。
    >eastseavillageさんが調べて死亡事故が無いなら、死亡事故の有無についての私の記憶も正しかったのではないでしょうか。

    ・・・わざわざ調べたのに、次は「死亡事故がなければそれで安全」なんですか?? 論拠がコロコロ変わりますね。

    >『毎日事故が続発していなければ「相対的に安全」と信じること』とeastseavillageさんの考えが同じかどうかは分かりませんが、私はそう信じたりしませんし信じている人を至って正常だとは思いません。

    あなたの「聞いたことがないから安全」と何が違うのか、説明して下さい。あなたの長文の説明も「相対的に安全」であることを証明しようとしているに過ぎません。そして、それほど安全意識が高いのに、「死亡事故がないから安全である」とは随分と荒っぽいですね。私ですらそんな風には考えません。結果論に過ぎないのではありませんか? 「たまに岩は落ちてひとにも当たるけど、過去死者が出てないから大丈夫」などと言われれば、船を降ります。それこそ安全意識はどうなっているのかと思いますが。

    ただただ「挑戦的である」として、雰囲気や気分で危ないとおっしゃるのみで、なんら根拠のある数値や理屈を示して頂けません。申し訳ありませんが、「ここから危険、ここまで安全」とする理由には成り得ていません。どこまでいっても「相対的」でしかありません。

    では、川下りで過去どれだけの死亡事故があったのですか? 事故は発生していますが、死亡事故がそんなに多発している事実を知りません。「数年に一度は死亡事故が発生している」事実を示して下さい。

    >滅多に無い崖崩れや業者による詐欺的なコース案内(これも滅多にない)に遭って死亡することになったら、その家族には同情します。今までにない崩落による死亡とは運が悪かったということです。

    「滅多にない」のは同じなのに、あなたのいうところの「挑戦的かどうか」で親の責任が変わる、おかしな理論ですね。結果責任なのか、気分の問題なのか、一体何なのか? 
    業者が意図的に騙すとか騙さないの問題ですか? 未熟さ故か、管理不足故か、全くの偶発か、とにかく「思わぬ事故」の可能性も問うているのですよ。今回の事故においても、ひっくり返らないと思っていたからの事故なのです。「トロトロ行くから安全です」と思っている、信じているだけとはそういう意味です。

    私も個人的な放言は自由だと思っていますし、所詮ネットの書き込みです。しかし、被害者遺族をまともな論拠もなく攻撃するようなマネはやはり看過できませんよ。あなたは間違えています。

  24. 佐藤健 のコメント:

    >eastseavillage様

    こんばんは、コメント有難うございます。
    早速、川下り船 死亡 などで検索してみました。
    私が見つけたのは、

    球磨川昭和27年7月14日客2人死亡
    球磨川昭和37年9月14日10人死亡
    天竜川昭和51年5月2日、4日船頭死亡
    天竜川昭和62年5月19日客3人死亡
    木曽川平成5年11月28日客1人死亡

    そしてこの度の死亡事故。どれも川下り観光船の転覆です。決して影崩れでひっくり返って死んだ訳ではありません。と言うことで崖崩れに対しては心配無用と結論付けます。eastseavillageさんは例の落石事故を知ったので、船を下りますか?私は落石は気にせず乗ります。川下り船に乗って落石で子供が死ぬ心配もしません。

    「毎日事故が続発していない」と「聞いたことがない」では事故の頻度が違いますね。

    滅多にない事、しかも結果が同じだとしても「挑戦的かどうか」で責任は変わります。崖崩れなら予見不可能で責任はありません。ワザと危険を高めるようなことをして幼児を死亡させたのには責任があります。

  25. eastseavillage のコメント:

    調査、ありがとうございました。
    乗客が慌てて立ち上がりバランスを崩したり、浅瀬に乗り上げたり、川面に突き出た丸太にぶつかったり、いろいろ川下りは危険があるようですね。すこし認識を改めました。ありがとうございます。
    ところで、これは景色を眺めてトロトロ行けば絶対的に安全だという理由になっているのですか?崖崩れが心配無用なのは私もそうだと思っていますし、別にどうでもいいんですが、ただあなたの主張している根拠はやはり「安全/危険の線にはなり得ない」ということが明らかになっただけではありませんか。「トロトロ行く方が相対的に安全だ」も甚だ怪しくなってきますね。
    調べて頂いた結果から、川下り全体で18年間、死亡事故がなかったということですよね。「毎日」が「毎月」で、「聞いたことない」でもいいんですが、仮にこの事実を知っていたとして、そこから「死ぬ」と直結させる人はいないと思いますが。余談ですが、必死なのは分かりますが「崖崩れは心配無用と結論付ける」はやはり乱暴だと思います・・・当然心配しろという意味ではありません。

    >滅多にない事、しかも結果が同じだとしても「挑戦的かどうか」で責任は変わります。崖崩れなら予見不可能で責任はありません。ワザと危険を高めるようなことをして幼児を死亡させたのには責任があります。

    分かりました。

    それはどこまで行ってもあなたの好き嫌いの領域だと思いますよ。30Fのマンションから子供が転落すれば、あなたは「何故1Fのマンションを買わなかったのか? ワザと危険を高めるようなことをして」と罵るのでしょうか。どんなに不可抗力の事故であっても許さないのでしょうか。。。
    「スリル感=危険」はどこまで行っても平行線です。あなたは「川下りとは自殺願望をもった人間が、死んでも構わないつもりでやるものだ」というスタンスなので、仕方ないですね。2歳児に自殺願望はないでしょうから。

    長々とありがとうございました。いろいろ失礼な発言もあり、すみませんでした。では。

  26. 佐藤健 のコメント:

    >eastseavillage様

    こちらこそ、たくさんのコメントを有難うございました。

  27. komichan のコメント:

    とうとう無くなっちゃいましたね!
    さびしい限りです。
    一昔前は、走ってる客車の扉は開放のままでした。
    池に柵はありません。
    広場では好き勝手遊べました。
    人を殺すゲ-ムなどもありませんでした。
    者がなく自分たちで遊びを考えました。
    時代ですかね?
    まず、被害にあわれた方々には、心よりお悔やみ申し上げます。
    事故に関して、だれも起こそうと思ってるわけでは、ないと思います。
    起こっていいとも思いません。
    しかるべきフェイルセーフが必要だと思います。
    ただ悲しいかな人間は失敗致します。
    遊具・雑踏・交通機関・公共施設・遊園地などなど
    危険がいっぱい迫ってます。
    ただその周りに柵をしてしまえば危険は、解りません。
    はたしてそれで良いのでしょうか?
    事故が起きたから、なくしてしまえでは、
    危機を前にして危険に対処できない事になると思います。
    中学生男子がソフトボ-ルをうまくほれない
    ストレスの対処が出来ず会社を休まずおれない
    我慢が出来ない
    人のせい文化と申しますか・私は悪くありません文化・いい子ちゃん文化と申しますか
    物質があふれ贅沢になり・安いものばかりを追いかけ・反面何もかも規則に縛られ・危険な場所も分からず・対処の仕方も分からず
    過ごしてきた人が多くなってきた中、
    自分自身、現在に置いて昔の思考が通るとも思いません。
    国の将来を憂います。
    最後に替え歌?
    で締めさせて頂きます。

    作者不詳
    雨ニモアテズ 風ニモアテズ
    雪ニモ 夏ノ暑サニモアテズ
    ブヨブヨノ体ニ沢山着コミ
    意欲モナク体力モナク 
    イツモ不満ヲ言ッテイル

    毎日塾ニ追ワレ
    テレビニ吸イツイテ遊バズ
    朝カラ欠伸ヲシ 集会ガアレバ 貧血ヲオコシ
    アラユルコトヲ 自分ノ為ダケ考エテカエリミズ
    作業ハグズグズ 注意散漫スグニアキ ソシテスグワスレ
    リッパナ家ノ 自分ノ部屋ニトジコモッテイテ

    東ニ病人アレバ 医者ガ悪イトイイ
    西ニ疲レタ母アレバ 養老院ニ行ケトイイ
    南ニ死ニソウナ人アレバ 寿命ダトイイ
    北ニ喧嘩ヤ訴訟ガアレバ 眺メテ関ワラズ

    日照リノ時ハ冷房ヲツケ
    ミンナニ勉強勉強トイワレ
    叱ラレモセズ 怖イモノモ知ラズ
    コンナ現代ッ子ニ誰ガシタ

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