「自国通貨建て国債が『デフォルト(債務不履行)』になるわけないだろ。」
(作家・三橋貴明氏のブログ「新世紀のビッグブラザーへ」)
恐らく三橋氏は自国通貨建ての国債の償還は増税や通貨の印刷で対応可能という前提なのだろう。しかしどちらの手法も国民がそう易々とは認めないものだ。即ち政治家も決断しにくい。償還時までに手当が間に合わなければ結局デフォルトになってしまう。
政治的困難さはともかくとして国債償還のような巨額な債務不履行が起きると国債の保有者が損するだけでなく、その影響は社会全体に及ぶ。よってデフォルトは必ず回避されなければならないのだが、増税というデフォルト回避手段は国民の財産の一部没収だから国民全体が大きな犠牲を払う。国債の日銀引受けも同じことだ。
国債を大量に発行しても財政破綻が起きないということは、国民が大きなツケを払わせられるということである。
「バブル崩壊以降、日本の貯蓄率はグングン低下して、その期間、国債金利もグングン低下している現実」
また家計の貯蓄が減少することが国債消化の障害になり財政破綻に繋がるという見方について三橋氏は否定的考えを持っているようだ。
しかし今後家計の貯蓄の多くが輸入品の購入に向けられるようになったら、即ち経常収支の黒字幅がどんどん狭くなっていけば新規国債の市中消化も困難な方向に向かう。あるいは円建て国債だけでは消化できず、外貨建てでの発行を余儀なくされるかもしれない。
三橋氏は国債の今後の償還や借り換えについてあるいは日本の経常黒字の継続性について楽観視し過ぎではないだろうか。