男性2人を殺害、切断遺体を遺棄したとして強盗殺人罪などに問われた事件の判決が16日横浜地裁で言い渡された。裁判員制度がはじまって2例目の死刑求刑であり裁判員裁判初の死刑判決が下されるかと注目を浴びていた裁判である。
しかし今回異例だったのは裁判員制度初の死刑判決という他に、裁判長が被告人に向かって控訴を勧めたことだ。過去にも自ら死刑判決を下した裁判長が控訴しなさいと付け加えた例があるが、極めて珍しいことである。
今回の裁判の朝山芳史裁判長は、
「被告は公判で『いかなる判決も受け入れる』と述べたが、重大な結論なので、慎重に判断すべきと考える。控訴することを勧めたい」
と説諭したという。
「疑わしきは被告人の利益に」と刑事裁判の原則が表現されるように、刑事裁判の判決は冤罪を防ぐため証拠に基づいた裁判官の確信から下されるものである。
そして量刑を決めるに当たっても、証拠が示す事実から乖離して良い訳ではない。
裁判の進行は裁判長が決める。最終的に刑事裁判の検察側の証拠や主張が信用するに足りないなら、訴えを退けるしかない。
今回の事件に対し朝山裁判長は「被告に酌むべき事情を最大限考慮しても死刑は回避できない」
とも言っている。
ところがなぜ一審が終結した時点で有罪判決を言い渡した裁判長自身が被告人に控訴を勧めるのだろうか。
有罪判決を下した裁判長が控訴を勧めるというのは、自分の裁判の進行に慎重さが欠けていると言っているようなものである。
それでは被告人のみならず控訴審を担当する関係者もたまったものではない。他人がいい加減にした仕事を始めからやり直しさせられるようなものだ。
手続き上控訴審さらには上告審が一審より効力を持つが、それは地裁の犯罪の認定や量刑を決める能力が低いことを意味するものではないだろう。
もし集めれるだけの証拠を元に審議を尽くしたうえで判決を言い渡したなら、控訴の勧めは余計なお世話だ。
始めまして、死刑制度を話す前に法治国家であれば、法務大臣粛々と行う?真の悪人は増えるはずだ。
1999年3月3日~~仕事で中国~~釣魚台国賓館に招待されて7日間宿泊(宿での朝刊は北京日報)大きな写真に驚く強盗犯の死刑を公園で行う記事、二人は足を金具で繋ぎ鍵は無い溶接で勿論二人の両手の溶接で止める。(通訳曰く公園には竹の棒や石ころが積み上げられて観衆はこれらで死刑を執行するが、犯人は早く銃殺してくれと叫び、見る観衆は(犯罪の罪の怖さを知る事に、。日本は戦後経済発展だけを進めて、人間としての基礎教育はされずに、毎日犯罪の記事はニーユースにもならないくらい麻痺状態、判決ご死刑は即実行しないからである.仕事で刑務所や少年院で慰問方々講演もするが全国何処も満タン入れ物が無い、飯の只食い是こそが税金の使い方の考えるべし。
>佐藤様
はじめまして、コメント有難うございます。
あらゆる場で教育の必要性や重要性が指摘されますが、かといってその目的に効果を上げる教育はあるのかと疑問が湧きます。
佐藤健様
おはようございます。食べる事が出来るとは親の与えた餌であり、国の餌であり、開発国の餌でしょうしかし、このバランスが壊れた時餌の奪い合いの手段は金であり、医薬品であり工業製品であるが、是を地球丸ごとバランスを取るには天文学的ややこしい数の組替えでありましょう、この辺りから「国の教育が大きく左右してきますが」常に私は人間働いて汗をかき家族に餌を与える基礎工事ですが、面白い事に先進国の蓑を被れば教育は余り必要ないのではなかろうか?私たち戦後生まれは朝の食べる事から始まる1日。大学を出はしたが頭は博士並自分のさすべき道すら計算機無しでは動けない、これらを預かり教育していますが問題解決は簡単です、餌を与えない事でニートは動くようになるのです、此処には教育は存在しません。