北京オリンピック柔道男子100キロ超級の金メダリストで現在総合格闘家の石井慧氏が、将来アメリカ市民権を取って2016年のリオデジャネイロオリンピックを目指すという話がある。
既にロサンゼルスに練習拠点を移しているそうだ。
パンクーバーオリンピックでは川口悠子氏がロシア国籍を取得してフィギュアスケートペア競技ロシア代表として出場した。日本国籍を離脱したのだ。
また、今までほとんど日本で暮らした経験が無いのに片親が日本人ゆえに日本国籍を持ち、オリンピック日本代表として選手になった人もいる。バンクーバーオリンピックフィギュアスケートアイスダンスのキャシー・リード氏とクリス・リード氏やアトランタオリンピックで100メートルハードル競技に出場した金沢イボンヌ氏がそうだ。
確かどちらも、自分の気持ちを素直に話すのには日本語より英語の方が自然らしい。顔つきや表情もあまり日本人的ではない。
国民はオリンピック選手を我々の代表として関心をもつわけだが、選手の内心はどうなのだろうか。
もちろん日本人代表として自覚が何より大きいと感じている選手も多いだろう。
しかし、選手の中には世界最高の舞台に立てるならどの日本人代表という枠にそれほど拘っていない人が結構いるのではないだろうか。世界の頂点に登るためコーチやパートナーに限らず代表枠も国籍にとらわれていない選手がいる。中にはオリンピック選手になれるなら今まで練習を積んできた種目にさえ見切りをつけ、出場の見込める全く未経験のスポーツに乗り換えることも辞さない人もいるに違いない。
恐らく今後も大体の選手は出身国の代表と自認してオリンピックに望むであろう。
しかし、個々の選手の本心はどうなのか分からないし、出身地が同じだからといって彼らの活躍に一喜一憂しても単なる「片思い」であるかもしれない。
選手の気持ちを差し置いて、政府が税金を投入してまでメダル獲得を目指すというのには賛成できない。
これまた政府の片思いかもしれないし、選手のなかには自分のためなら、どこの政府(≒国民の税金)でも利用してやろうと考えているに過ぎないかもしれない。
どの国籍を取って出場するか選択の余地があるなら、それは選手の自由。またオリンピックも見せ物のひとつであり、どこの国の誰を応援するかは全くの自由。政府の深い介入は余計だろう。