終戦の日の朝日新聞社説

「終戦の日」の今日、朝日新聞は「昭和システム」との決別と題した社説を掲載した。
倉本聰の演劇作品やジョン・ダワーの著書を援用して現在の日本の閉塞的な状態を説明している。

社説はダワーの著作をもとに、
軍と官僚が仕切る総動員態勢によって戦争が遂行されたのと同じやり方で、戦後も、社会は国民以外のものによって仕切られてきた。
と戦後の官僚制の日本を表現している。

しかし官僚だけで日本の戦後が指導されてきたのだろうか。
戦後の日本国の運営は度重なる選挙の洗礼を受けているので、国民は仕切られる一方とは言えない。例えば戦後に地方まで張り巡らされたアスファルト舗装道路、採算の取れない空港、無数の租税特例措置、農業など一部の業界への補助そして諸々の歳出を賄うための国債発行、すべて一部あるいは全部の国民の要望と政治家の影響力があってこその結果だ。

行政サービスの範囲が広くなれば、政府の役人の数は多くなっていく。そして省庁間の政策の矛盾で後々問題に発展することの無いよう役人たちの判断や行動がますます慎重になっていく。必然的に官僚制は硬直的なるものなのだ。それを善悪で論じてもそれほど有意義ではないと思う。

官僚を非難するより、行政サービスの範囲を再検討する方が建設的であろう。役人の仕事ぶりに国民が満足できないなら、その仕事を行政から外すという選択肢の検討が必須である。

選挙で権力者を選ぶ体制はとっくの昔に確立している。問われるのは国民のまとまった意思である。当然責任は国民が負う。

朝日新聞の社説は、端的に言って「弱い」感じがする。今日は三人から援用していたり、結論には新鮮味もしつこさもない。所詮合議制だから当たり障りのないつまらない文章なのか。それとも沢山の購読者を抱えて商売しているうちに、一部の読者の機嫌を損ねて減収になるのが怖くなったのかと意地悪な見方をしたくなる。

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